日本歴史地名大系 「大聖寺城跡」の解説
大聖寺城跡
だいしようじじようあと
標高約七〇メートルの
建武二年(一三三五)中先代の乱に呼応して越中の名越時兼が加賀を南下した際、加賀国人で狩野一党の福田・敷地・山岸・上木氏らが大聖寺城に拠って迎え撃ったという(「参考太平記」巻一三)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
標高約七〇メートルの
建武二年(一三三五)中先代の乱に呼応して越中の名越時兼が加賀を南下した際、加賀国人で狩野一党の福田・敷地・山岸・上木氏らが大聖寺城に拠って迎え撃ったという(「参考太平記」巻一三)。
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