1941年8月14日,イギリスのチャーチル首相とアメリカのF.ローズベルト大統領とが発した共同宣言。戦後世界に関してほぼ次のような八つの原則を提示した。(1)イギリス,アメリカ両国の領土不拡大,(2)住民の意思に反する国境変更に反対,(3)人民の政治体制選択権の尊重,(4)通商制限緩和と原料資源への接近の平等,(5)諸国家間の経済協力,(6)欠乏と恐怖からの自由,(7)公海自由,(8)一般的安全保障制度確立まで侵略国を武装解除。なお,チャーチルは帰国後,インドとビルマ(現ミャンマー)には憲章が適用されない旨声明している。
共同宣言発表に先立つ会談が,ニューファンドランド沖のイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズとアメリカ巡洋艦オーガスタの艦上で行われたこともあって,大西洋憲章の名があるが,この会談は第2次世界大戦勃発後最初の米英巨頭会談であった。当時イギリスは大陸を席巻したナチス・ドイツを相手にしてアメリカの援助を絶対に必要としていた。他方アメリカは,依然参戦には慎重だったものの,実質的にはイギリスにしだいに強く肩入れを行うようになっていた。このようななかでチャーチルとローズベルトが会談をもったことは,たとえローズベルトがこの段階では参戦を確約しなかったにしてもアメリカのイギリス側に対する荷担を明確にするものであったし,その際発表された大西洋憲章が,枢軸国側に対する戦争目的を明らかにして戦後の世界像を先取りしてみせたことの意味は大きかった。同年9月15日には,ドイツ,イタリアと交戦状態にあったソ連を含む15ヵ国がこの憲章に賛同した旨が発表されている。そしてその後太平洋で戦端が開かれてからは,42年1月1日の連合国共同宣言へと大西洋憲章の内容は継承され,国際連合の創設理念の一つの源泉となったのである。
執筆者:高原 孝生
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1941年8月14日に発表されたイギリス、アメリカ両国の世界政治に対する原則の共同宣言。英米共同宣言ともいわれる。第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)して約2年後、ドイツのソ連侵略開始(1941.6.22)によって大戦は新しい局面を迎えた。同年8月9日、イギリスのチャーチル首相は新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ号に乗艦、大西洋を渡りカナダのニューファンドランド島アージェンティア湾で、アメリカのルーズベルト大統領と会談、その後しばしば開かれた首脳会談の端緒をつくった。会談は同月12日まで開かれ、8項目からなる両国の共同宣言が、チャーチル首相の無事帰国を待って発表された。すなわち、〔1〕領土の不拡大、〔2〕国民の合意なき領土変更の不承認、〔3〕国民の政体選択の権利の尊重と、奪われた主権の回復、〔4〕通商と原料の均等な開放、〔5〕各国間の経済協力、〔6〕ナチス暴政の打倒と、恐怖と欠乏からの解放、〔7〕海洋航行の自由、〔8〕武力使用の放棄と、恒久的な一般的安全保障体制の確立、である。当時、アメリカは、ヨーロッパとアジアの戦争に対し、中立国の立場にあったが、孤立するイギリスへの道義的、物質的支援が自国の国益に合致する、とのルーズベルト大統領の判断で、異例の会談の開催、共同宣言の発表となったものである。これにより、アメリカは、ドイツとの対決姿勢を、それまで以上に明確にした。大西洋憲章は、約4か月後のアメリカの参戦を経て、42年1月1日に発表された連合国共同宣言においても冒頭で強調され、継承された。
[藤村瞬一]
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1941年8月,戦争拡大の危機を前にアメリカのローズヴェルト(フランクリン)大統領とイギリスのチャーチル首相が,大西洋上で会見し共通する諸問題を討議し,その際発表された宣言。全8カ条からなり,領土不拡大,民族自決,貿易の自由と拡大,労働条件と社会保障の改善,海洋の自由,軍備縮小,平和機構の再建が主張されている。発表後ただちにソ連などはこの支持を表明し,太平洋戦争が始まると,42年1月この憲章にもとづく連合国共同宣言が発表された。これらに示された基本理念にもとづいて国際連合が成立する。
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1941年8月14日にアメリカ大統領ローズベルトとイギリス首相チャーチルが発した,第2次大戦の戦争目的と戦後の世界秩序構想に関する共同宣言。領土不拡大,国境不変更,民族自決,通商の自由,国際経済協力,欠乏と恐怖からの自由,公海自由,一般的安全保障体制の確立の8項目からなるが,通商の自由についてはイギリスが抵抗し,妥協が図られた。
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…そして11月5日の御前会議で12月初頭の開戦が決定され,日本は11月26日に提示されたアメリカ側のハル・ノートを最後通牒と受け取り,12月1日の御前会議で8日の開戦を正式に決定した。 これに対し米英両国首脳は,41年8月12日に領土不拡大,政治形態の自由選択権の尊重,平和の確保,侵略国の武装解除などを定めた大西洋憲章に署名し,9月24日にはソ連など15ヵ国が参加を表明した。次いで太平洋戦争勃発直後の42年1月1日,米英ソ中4ヵ国代表は,自由と人権の擁護,ファシズム諸国の打倒などを内容とする連合国共同宣言を発表した。…
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