出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪市港区築港3丁目,安治(あじ)川河口南岸にある天保山公園の小丘。標高7.1m。1831年(天保2),大坂湊の中心をなす安治川河口の波止場へ向かう航路の整備のため浚渫(しゆんせつ)された川の土砂を,西成(にしなり)郡八幡屋新田村地先に積み上げて周囲1.8kmの島と天保山が造成された。当時の標高は約18mであったが,その後の地盤沈下で現在の高さになった。四方の眺望がきく景勝地として大坂新名所となり,《天保山名所図会》は版を重ねた。頂上に設けられた高灯籠は通行する船舶の目標となったので,〈目印(めじるし)山〉とも呼ばれた。1864年(元治1)に沿岸防備の砲台が築かれたため,景勝は損なわれた。97年に着手された大阪築港工事では,起工式が行われた天保山を起点とする南西側海面埋立てが主たる事業となり,1903年には大桟橋(現,中央突堤)が完成して近代的港湾設備が整い,以後この地区が大阪港の中心となり現在に至っている。22年完成をみた天保山桟橋は別府および四国航路の客船でにぎわったが,65年にそれが弁天埠頭に移った後は衰え,徳島行きの高速船乗場(98年廃止)と水上消防署がある。
執筆者:服部 昌之
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大阪市西部、港区の安治川(あじがわ)左岸にある人工の山。1831年(天保2)ごろ、安治川の川ざらえの土砂を盛り上げてつくったもの。灯台が建てられ目印山とよばれた。現在は地盤沈下で低くなり、公園になっている。1868年(明治1)日本最初の観艦式を記念する明治天皇観艦之碑もある。天保山桟橋(さんばし)から発着した瀬戸内海航路は、内港の弁天埠頭(ふとう)、さらに南港に移った。天保山客船ターミナルには外航クルーズ客船が寄航する。
[安井 司]
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