出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国、浙江(せっこう)省天台県北にある仏教の名山。標高1200メートル前後の諸峰の谷間には、かつて無数の寺院が点在した。もと道教の霊山で、「天上の三台星に応ずる地」とされて天台山の名が生まれた、と伝えられる。4世紀中ごろから仏僧が入山して仏寺建立が盛んになった。575年に入山した智顗(ちぎ)(天台宗開祖)は、陳(ちん)の宣帝の保護を受けて修禅寺(しゅぜんじ)(宋(そう)代に大慈寺と改名)を建て、天台宗の根本道場とした。智顗の没後、弟子の灌頂(かんじょう)らが隋(ずい)の晋王(しんおう)(のち煬帝(ようだい))の援助を受けて601年に天台山寺を創建し、605年煬帝から国清寺の額を賜与された。これが「天下四絶」の一つとたたえられた天台宗総本山の国清寺である。
日本天台宗祖の最澄(さいちょう)が804年に山に入り天台法門と菩薩戒(ぼさつかい)を受けて以降、円載(えんさい)、円珍(えんちん)、成尋(じょうじん)、栄西(えいさい)、重源(ちょうげん)らが唐から宋にかけて続々と天台山を訪れた。現在、国清(こくせい)寺には高さ59メートルもある六角九層の隋代の塼塔(せんとう)のほか、山門を入ると、正面中央から奥へ弥勒(みろく)殿、雨花殿、大雄宝殿が建ち並び、この三大殿の左右には妙法堂、観音殿、禅堂など多くの堂宇が侍列し、昔日のたたずまいをしのばせている。
[佐藤智水]
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中国浙江(せっこう)省東部の仏教の聖山。三国の呉の頃開けたといい,智顗(ちぎ)がここに住んでより,隋の煬帝(ようだい)の保護を受けて,天台宗の本山となり72寺があった。唐の初め寒山(かんざん),拾得(じっとく)がいたといわれる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
「ティエンタイシャン(天台山)山脈」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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