天田愚庵(読み)アマダグアン

デジタル大辞泉 「天田愚庵」の意味・読み・例文・類語

あまだ‐ぐあん【天田愚庵】

[1854~1904]歌人福島の生まれ。本名、甘田久五郎、のち五郎と改名諸国流浪万葉調の歌を作って正岡子規に影響を与えた。

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精選版 日本国語大辞典 「天田愚庵」の意味・読み・例文・類語

あまだ‐ぐあん【天田愚庵】

  1. 歌人。旧姓、甘田。幼名、久五郎。本名、天田五郎。出家して万葉調の歌をよむ。正岡子規と交わり影響を与えた。著「愚庵全集」など。安政元~明治三七年(一八五四‐一九〇四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天田愚庵」の意味・わかりやすい解説

天田愚庵(あまだぐあん)
あまだぐあん
(1854―1904)

歌人。磐城(いわき)国(福島県)平(たいら)藩士の家に生まれる。幼名久五郎、のち剃髪(ていはつ)して鉄眼と称す。15歳のとき戊辰(ぼしん)戦争にあい、幕軍について平城に籠城(ろうじょう)。この戦いで行方不明となった父母と妹の所在を求めて諸国を流浪し、その間写真屋をしたり、山岡鉄舟の門に入ったりした。一時、清水次郎長(しみずのじろちょう)の養子になって山本五郎といったが、復姓して1887年(明治20)剃髪、1892年には京都・清水(きよみず)の産寧(さんねい)坂に庵(いおり)を結び愚庵と号した。出家後独学で短歌を『万葉集』から学んだ。正岡子規よりも一歩先んじて万葉調の歌をつくり、また国士風なところがあって時事慷慨(こうがい)の心を詠み、歌の特色としては連作と時事歌が多い。

[藤岡武雄]

 吉野川岩切り通しゆく水にかけて危(あやう)き芝橋も見つ

『湯本喜作著『愚庵研究』(1963・日本文芸社)』


天田愚庵(あまたぐあん)
あまたぐあん

天田愚庵

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朝日日本歴史人物事典 「天田愚庵」の解説

天田愚庵

没年:明治37.1.17(1904)
生年:安政1.7.20(1854.8.13)
明治期の歌人,禅僧。清水次郎長の養子。幼名久五郎,のち五郎。鉄眉とも称す。陸奥国磐城平藩(いわき市)藩士甘田平太夫となみの子。15歳で戊辰戦争に参加,この戦いで父母,妹と生別し,藩閥政治への恨みと肉親捜しのため台湾まで足をのばした。西南の役参加と岩倉具視暗殺などを画策して,そのはねかえりぶりにあきれた山岡鉄舟により,明治14(1881)年,清水次郎長に紹介されて養子になる。17年2月,博徒狩りで次郎長が収檻されるや早くも4月,助命嘆願書として『東海遊侠伝』を著して出版。養父収檻中にもかかわらず,自由民権派の加波山蜂起1カ月前の同年8月,突然養子縁組を解消し,出家して京都清水坂に庵を構え,和歌と維新の内戦で死んだ人々の菩提をとむらう行脚の生活に入り,『巡礼日記』(1894)を著す。和歌は万葉調で,正岡子規にも影響を与えた日本のインテリヤクザ第1号。<参考文献>『愚庵全集』

(平岡正明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天田愚庵」の解説

天田愚庵 あまだ-ぐあん

1854-1904 明治時代の歌人,僧。
嘉永(かえい)7年7月20日生まれ。父は陸奥(むつ)平藩(福島県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争で行方不明となった両親と妹をさがしもとめて各地を放浪。山岡鉄舟の紹介で一時,清水次郎長の養子になり,「東海遊侠伝」をまとめる。明治20年由利滴水のもとで出家。和歌では正岡子規に影響をあたえた。明治37年1月17日死去。51歳。本姓は甘田。通称は五郎。別号に鉄眼。著作に「巡礼日記」など。
【格言など】大和田に島もあらなくに梶緒絶え漂ふ舟の行方しらずも(辞世)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天田愚庵」の意味・わかりやすい解説

天田愚庵
あまだぐあん

[生]嘉永7(1854).7.20. 磐城
[没]1904.1.17. 京都
歌人。磐城平藩士の子として生れ,戊辰戦争に従軍して父母と生別,以後 20年,手を尽して探求したが,ついに再会できなかった。山岡鉄舟に師事,一時期,清水次郎長の養子となったこともある。のち仏門に入り,京都の清水産寧坂や桃山に庵を結び,悠々自適の生活をおくった。歌を学んだのは出家後で,正岡子規とも交渉があった。歌風は強健な万葉調で,子規の写生短歌にも一脈通じる。

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367日誕生日大事典 「天田愚庵」の解説

天田 愚庵 (あまた ぐあん)

生年月日:1854年7月20日
明治時代の歌人;漢詩人;僧
1904年没

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世界大百科事典(旧版)内の天田愚庵の言及

【清水次郎長】より

…【吉原 健一郎】
[人物像]
 講談,浪曲の題材としての清水次郎長を定着させたのは,講釈師の3代目神田伯山であるが,この伯山のところに日参して稽古した浪曲師2代目広沢虎造のラジオ放送やレコードによって昭和初期の大衆にとって英雄の存在にまで高められた。《清水次郎長伝》の原典とされている伯山の講談は,主として天田愚庵の《東海遊俠伝》によっている。天田愚庵は,清水次郎長一家に寄宿したことのある歌人であるが,《東海遊俠伝》は,次郎長の存命中に,しかもその釈放運動に益するために書かれた気味もあり,もっぱら次郎長の功績をたたえることに終始している。…

※「天田愚庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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