出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
哲学者、教育者。神奈川県に生まれる。1912年(明治45)京都帝国大学文科大学卒業。第七高等学校、学習院教授などを経て、1931年(昭和6)京都帝大教授。専攻はカント哲学。人生論、教育論、学生論も多い。1944年同校を退職してのち、甲南高等学校校長。第二次世界大戦後、第一高等学校校長となる。教育刷新委員会委員として教育基本法制定にもかかわった。1950年(昭和25)5月から第三次吉田茂内閣の文相となり、道徳教育の重要性を強調、自ら「国民実践要領」を草し、不評を買った。のち1953年獨協(どっきょう)学園園長、1955年から1963年まで文部省中央教育審議会会長。1961年度文化功労者。
[尾崎ムゲン 2016年8月19日]
『天野貞祐著『忘れえぬ人々 自伝的回想』(1953・河出書房)』▽『『天野貞祐全集』全9巻(1970〜1972・栗田出版会/復刻版・1999・日本図書センター)』
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…このような公式決議にもかかわらず,教育勅語復活を待望する声は根強く残った。51年文相天野貞祐は〈国民実践要領〉を発表した。これは教育勅語の復活ではないが,政府から道徳基準を示す方式であった。…
…1937年独逸学協会中学校と改称,第2次大戦後の47年独協学園と改称し,48年には新制の高等学校・中学校が認可された。52年哲学者天野貞祐を校長として再興をはかり,64年独協大学を開設した。73年には兄弟校として,栃木県下都賀(しもつが)郡壬生(みぶ)町に独協医科大学を開設,77年に大学院を設置する。…
※「天野貞祐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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