太刀山峰右衛門(読み)タチヤマミネエモン

デジタル大辞泉 「太刀山峰右衛門」の意味・読み・例文・類語

たちやま‐みねえもん〔‐みねヱモン〕【太刀山峰右衛門】

[1877~1941]力士。第22代横綱。富山県出身。本名、老本弥次郎。得意の突っ張り一突ひとつき半と一月ひとつき半とをかけて「四十五日」といわれた。優勝11回。1敗を挟み、43連勝、56連勝を記録。→第21代横綱若島 →第23代横綱大木戸

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朝日日本歴史人物事典 「太刀山峰右衛門」の解説

太刀山峰右衛門

没年:昭和16.4.3(1941)
生年明治10.8.15(1877)
明治大正期の力士。22代横綱。富山県婦負郡呉羽町の製茶業老本治助の次男。本名弥次郎。5斗俵4俵を担ぐ怪力ぶりで,板垣退助,西郷従道ら政界の大物が勧誘に動くという大騒ぎの末,友綱部屋に入門。明治33(1900)年5月幕下付け出しで初土俵。4戦全勝のデビューを飾り,35年十両,36年入幕とトントン拍子に出世。37年5月初優勝を飾り,42年大関,44年2月横綱となる。怪力で相手を圧倒し,突っ張りと仏壇返しの技で知られ,その威力は「太刀山は45日(ひと突き半の洒落)で今日も勝ち」と川柳に読まれるほどであった。42年から大正5(1916)年にかけて,1敗をはさんで43連勝と56連勝を記録。優勝は11回,うち5場所連続優勝がある。不知火型の土俵入りで知られる。足の骨折が完治せず,大正7年42歳で引退,年寄東関を継ぐが,翌年廃業。横綱時代の勝率96.5%(84勝3敗1分1預)は驚異的で,江戸時代の強剛無敵の名大関雷電為右衛門にも匹敵する存在である。<参考文献>酒井忠正『日本相撲史』中

(服部祐兒)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太刀山峰右衛門」の意味・わかりやすい解説

太刀山峰右衛門
たちやまみねえもん
(1877―1941)

明治・大正期の横綱力士。富山市呉羽(くれは)町生まれ。1900年(明治33)夏、幕下に付け出されて、1911年横綱に栄進。身長1.85メートル、体重150キログラムの筋肉質巨漢で、得意の突っ張りは「四十五日」(一月(ひとつき)半=一突き半の意)といわれ、無敵の怪力を発揮して、優勝制度以前の成績を加算すると優勝11回(全勝優勝5回)、56連勝を数え、大関駒(こま)ヶ嶽(たけ)との対戦は人気が高かった。1918年(大正7)41歳で引退、翌年相撲(すもう)界を去った。

[池田雅雄]


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太刀山峰右衛門」の解説

太刀山峰右衛門 たちやま-みねえもん

1877-1941 明治-大正時代の力士。
明治10年8月15日生まれ。友綱部屋に入門し,明治36年入幕,44年22代横綱となった。「四十五日(ひと突き半)」といわれた強力な突っ張りを武器とし,1敗をはさんで43連勝と56連勝があり,優勝は11回。昭和16年4月3日死去。65歳。富山県出身。本名は老本弥次郎。

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