太田屋新田(読み)おおたやしんでん

日本歴史地名大系 「太田屋新田」の解説

太田屋新田
おおたやしんでん

[現在地名]中区太田おおた町一―六丁目・相生あいおい町一―六丁目・住吉すみよし町一―六丁目・常盤ときわ町一―六丁目・尾上おのえ町一―六丁目・真砂まさご町一―四丁目・みなと町一―六丁目・横浜公園よこはまこうえん

北は横浜村、東南は横浜新田、南は派大岡はおおか川を隔て吉田新田よしだしんでん村、西は大岡おおか川の河口入海を隔てて野毛のげ浦に対する。横浜村と吉田新田村の間の入海を三河の太田屋徳九郎が開発した新田。嘉永三年(一八五〇)に着手し、安政三年(一八五六)完成した。幕府直轄領。高三八石二斗余、総面積一三万五千余坪のうち耕作できる反別は下田八町八反余で、約八割は海水が冠水して荒地沼地のままであった。西の堤塘と南の派大岡川沿いの堤塘の二ヵ所にある水門を満潮時に開き、退潮時に閉ざして鯔・鰻をとり、また沼の蘆を刈取り生業とした。河口の入海は海苔の採取場で、西堤塘には野毛浦と結ぶ渡船場があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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