奥 大節(読み)オク タイセツ

20世紀日本人名事典 「奥 大節」の解説

奥 大節
オク タイセツ

明治〜昭和期の僧侶 臨済宗方広寺派管長;万寿寺住職。



生年
明治32(1899)年10月19日

没年
昭和45(1970)年1月24日

出生地
島根県

別名
室号=雲閑窟,雲関窟

経歴
明治29年7歳で鳥取県要玄寺〓峯について得度。39年京都嵯峨天竜寺の高木台岳について修禅、大正9年まで在錫。同年インド、ビルマ、中国、台湾などを視察、11年京都相国寺橋本独山参禅、15年まで在錫。同年大分市万寿寺住職となった。山門前の境内を拡張、通路を開いて開山600年記念大授戒会を行った。また保育園の大分東光わかば園を開園、昭和13年大分市高崎山万寿寺別院を落成した。20年花園大学長、21年臨済宗方広寺派管長となった。26年管長を辞め万寿寺に帰り、35年再び管長に選ばれた。37年欧米各国を回り、43年には禅の研修道場建設に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥 大節」の解説

奥大節 おく-たいせつ

1889-1970 明治-昭和時代の僧。
明治22年10月19日生まれ。臨済(りんざい)宗。大正11年から京都相国寺の橋本独山にまなび,15年大分万寿寺住職となる。昭和20年臨済学院専門学校(現花園大)学長。21年方広寺派管長に就任,35年にも再任された。昭和45年1月24日死去。80歳。島根県出身。名は鉄操。号は雲閑(関)窟。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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