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孔子 【こうし】

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大辞林 第三版の解説

こうし【孔子】
 
(前551~前479頃) 〔呉音で「くじ」とも〕 中国,春秋時代の魯(ろ)の思想家。儒教の祖。名は丘,字(あざな)は仲尼(ちゆうじ),諡(おくりな)は文宣王。昌平郷陬邑(すうゆう)(山東省曲阜(きよくふ)県)の生まれ。魯に仕えたがいれられず,諸国を遊説したのち,門人の教育に専念。周公旦(しゆうこうたん)の政治と事績を理想とし,仁と礼とを倫理的行為の根本におき,徳治政治を達成せんとした。その思想は,言行を記録した「論語」にみられる。また,「書経」「詩経」「春秋」などを整理・編纂したといわれる。


くじ【孔子】
 
〔呉音〕
○ 孔子(こうし)。
孔子の絵や画像。


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デジタル大辞泉の解説

こう‐し 【孔子】
 
[前552~前479]中国春秋時代学者思想家(ろ)の陬邑(すうゆう)(山東省曲阜(きょくふ))に生まれる。名は丘(きゅう)。字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。諡(おくりな)は文宣王。早くから才徳をもって知られ、壮年になって魯に仕えたが、のち官を辞して諸国遍歴し、十数年間諸侯に仁の道を説いて回った。晩年再び魯に帰ってからは弟子教育専心後世儒教の祖として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えた。弟子の編纂(へんさん)になる言行録「論語」がある。くじ。

く‐じ 【孔子】
 
孔子(こうし)。また、孔子の像。「―など掛け奉りてすることなるべし」〈・一三二〉

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編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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世界大百科事典 第2版の解説

こうし【孔子 Kŏng zǐ】  前551‐前479

中国,春秋時代の思想家。名を丘,字を仲尼といい,の陬(すう)(山東省)の生れ。その73歳の生涯は,周王朝支配体制がくずれ,諸侯の対立抗争する春秋末の動乱期に過ごされている。当時,魯国でも君主の威権は地に落ち,季孫氏・孟孫氏・叔孫氏という3公族が政治を専断していた。さらに3公族のうちもっとも強力な季孫氏では,家臣の陽虎が権勢をふるい,下剋上様相さえあった。 幼いとき父に死別した孔子は,貧困苦難のなかに育った。


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とっさの日本語便利帳の解説

富と貴とは、これ人の欲する所なり。その道を以てせざれば、これを得るとも処[お]らざるなり。貧と賤とは、これ人の悪[にく]む所なり。その道を以てせざれば、これを得るとも去らざるなり。\『論語』
孔子(前五五一~四七九)のことば。「富と貴とは誰もが望むところだが、正しい方法でそれを得たのでなければ、そこに安住しない。貧と賤とは誰もが嫌うところだが、悪いことをしないでそうなったのであれば、逃げることなくそのままでいる」。

己の欲せざるところ、人に施すことなかれ。\『論語』
孔子(前五五一~四七九)のことば。


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

孔子
こうし
Kong-zi; Confucius

[生]前551. 山東,曲阜
[没]前479
中国,春秋時代の学者,思想家。儒教の祖。名は丘。字は仲尼 (ちゅうじ) 。諡は至聖文宣王。先祖は公族であったが家はきわめて貧しく,魯に仕え大司寇となったが権力者と衝突し,56歳から十余年間魯を去って諸国を歴遊し,諸侯に道徳的政治の実行を説いたが用いられず,晩年は魯で弟子の教育と著述専念し,『春秋』やその他儒家経典を著したと伝えられる。

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占い用語集の解説

紀元前551年~前479年の中国の思想家で、それまでのシャーマン的な様々な知識伝統を、儒教といわれる一つの道徳思想にまで大成させた人物。易経の解説にあたる「十翼」をまとめたといわれる。


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百科事典マイペディアの解説

孔子 【こうし】

中国,春秋時代の思想家。儒家の祖にして儒教の創始者。名は丘,字は仲尼(ちゅうじ),魯(山東省曲阜)の人。幼にして父母を失い,貧苦の中で学に志し,周公を理想の人物と仰いだ。 (前551-前479)
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世界大百科事典内の孔子の言及

【緯書】より
…しかし,緯書はほとんどすべて讖(しん)すなわち予占的な要素を含んでいるので,讖緯書とも呼ばれる。《隋書》経籍志によると,六経を編集して〈天人の道を明らか〉にした孔子は,後世の人がその真義を理解しえないのを恐れて,別に讖緯書を準備して,おのれの思想を託したという。これはもちろん非歴史的な付会で,孔子その人は天道や怪力乱神を語らず,神秘をしりぞけて人間の立場を貫こうとしており,緯書の発生にかかわりのあろうはずもなく,このことはすでに後漢の荀悦の否定するところである。…
【孔子改制考】より
…1898年(光緒24)刊。康有為は,孔子を六経の删述(さんじゆつ)者だとする伝統的な経書観を否定し,六経はみな孔子の制作であり,孔子はその時代を改革するために己の政治的理想にもとづき,古人のことばに託して六経を作り,その教えを広めたのだと主張した。彼の目的は,孔子を教主とする宗教としての儒教を蘇生させることにあったが,彼の古代史に対する懐疑的方法は,民国時代の疑古派の先駆となった。…
【孔子批判】より
…中国,孔子および儒教に対する批判運動。前136年,漢の武帝が儒教を国定の教えとしていらい1911年に辛亥革命で清朝が滅亡するまで,儒教の祖である孔子は,中国における最高の人格として尊重されてきた。…
【三代】より
…それぞれの黄金時代を築いた創業の聖王たち,すなわち夏の禹王,殷の湯王,周の文王・武王・周公のときには,最も理想的な統治が行われていたとされる。たとえば孔子は,この三代の歴史の中に,人類が生み出した最も優秀な中国文化の展開を見,自分こそその本質を知るものと自認していた。そして将来の理想的な国家社会のイメージを,三代文化の総合として構想した。…
【死】より
…例えば,前者の絶対点を強調したのが欧米のキリスト教文化圏であり,それに対して後者の媒介点を強調したのが日本を含むアジアの仏教文化圏である。
孔子,仏陀,キリスト]
 ところで,中国の孔子は〈われいまだ生を知らず,いわんや死においておや〉といって,死を未経験の領域に位置づけているが,インドの仏陀は死を涅槃(ねはん)ととらえ,永遠の生命にいたるための出発点と考えた。これに対してイエス・キリストは十字架上で犠牲になり,死んでよみがえった。…
【儒家】より
諸子百家の首位に立つ中国古代の思想集団。孔子を開祖として戦国期の孟子,荀子など原始儒家によって大きく思想形成を遂げた。先秦諸子のうちこの儒家と墨家が,活動的学派として最も組織的かつ活発であった。…
【春秋戦国時代】より
…荀子は儒家といわれ,商鞅は法家といわれる。このように戦国末には異なった思想がいくつもみられるが,その源流は春秋末に出た孔子である。西周王朝滅亡後,春秋時代を通じて,天を中心とする宗教意識が衰え,代わって人間が生得にもつ徳=仁(人間相互の親愛観念であり,その根本は親や上長に対する孝悌であるとされた)を完成するために修養が大切であると説いたのが孔子である。…
【仁】より
… 中国思想史上この仁に深遠な内容が付与されて重要な意味をもつようになったのは春秋時代前後からである。孔子が仁を自己の思想の核心を表現する概念として定立してより,孔子学派では〈人間らしさの極致〉を表徴する最高の徳目となった。仁の内容について孔子自身いろいろに説くが,〈己立たんと欲して人を立てる〉ことと説かれ,〈己の欲せざる所は人に施すことなかれ〉という〈恕(じよ)〉の精神をうちに含む愛を基本として,〈人を愛する〉ことと一般化される。…
【讖緯説】より
…人間的現実的な経書にくらべて超越的・神秘的であるとか,五行相勝でなくて五行相生説に立ち(五行),従来,漢を水徳または土徳の王朝としたのに対して,はっきり火徳説を打ち出したとか,いくつかの特色が指摘されよう。が,思想史的にみて,その最大の意義は,伝統的な孔子観を改めて孔子を神格化したことであろう。 従来も儒家は孔子に対して最高の敬意を惜しまなかったが,それは人間として,理性的尊敬の対象としてであった。…
【旅】より
…そのなかでも任俠にもとづく交友を結び,世間を渡り歩く者を遊俠といい,とくに弁説をもって政治を動かそうと諸国を巡るものを遊説といい,一見仁者のような説をなして徒党を組み,権勢を握ろうとするものを遊行といった(荀悦《漢紀》)。その中で第1にあげるべきものは儒教をとなえた孔子で,みずから弟子をひきつれてつねに諸国に遊説し,東西南北の人といわれた。また戦国時代,列国の間を合従連衡を説いてまわった蘇秦も,つねに旅にあった。…
【中国思想】より
…しかし周も中期の春秋時代になると,天はしだいに人格神の性格が稀薄になり,天は〈天道〉という道・法則に転化し,非人格化が進行した。ついには孔子の〈鬼神を敬して遠ざく〉という言葉のように,宗教離れの傾向が著しくなった。ただ,その孔子が祖先崇拝を重視したのは矛盾のように見えるが,それは孔子が家族制度の維持強化を図るために,祖先崇拝のもつ現実的機能が必要不可欠であることを認めた結果にほかならない。…
【中国哲学】より
…哲学もまたその例外ではなく多くの場合,道徳学・政治学の域にとどまることが多かった。
[古代]
 孔子以前の文献としては《詩経》と《書経》があるが,そこには天が人格神・超越神として現れている。孔子はこの天を非人格化し内在化して,これを道とよんだ。…
【神籤】より
…箱のなかに竹または木の棒を入れ,それに番号を記し,箱にあけられた穴からそのうちの1本をとり,その棒に記された番号によって,吉凶などを記した紙を寺社から受けとるというこの形式のくじの起源は中世をさかのぼらないようである。中世ではくじに孔子の字をあてることが広くみられた。また阿弥陀光(あみだのひかり)といい,阿弥陀仏の後光を描き,それをくじとして飲食の出銭高などを決める方法もあった。…
【礼】より
…礼は仁義礼智信の〈五常〉のなかに組み込まれている。孔子は〈礼を学ばないと人として立ってゆけない〉(《論語》季氏篇)と語ったし,弟子といっしょに礼の演習も行った。そもそも儒家の源流は礼(特に葬礼)の請負師だったといわれている。…
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