宇佐八幡宮神託事件(読み)うさはちまんぐうしんたくじけん

改訂新版 世界大百科事典 「宇佐八幡宮神託事件」の意味・わかりやすい解説

宇佐八幡宮神託事件 (うさはちまんぐうしんたくじけん)

769年(神護景雲3)大宰府管内豊前国の宇佐八幡神が僧道鏡を天皇にしたならば天下太平ならんと,称徳天皇神託を奏上した事件。宇佐八幡宮起源は不明だが,正史では《続日本紀》に737年(天平9)新羅無礼を八幡神に告げたとあるのが初見。745年ころから同神が東大寺大仏建立を助け,とくに銅と黄金の入手を助けたと信ぜられ,朝廷崇敬を得た。750年(天平勝宝2)には封戸1400戸,位田140町が施入され,伊勢神宮をしのぎ,全神社中第1位を占める厚い崇敬を得た。道鏡は761年(天平宝字5)に近江保良宮で孝謙上皇が病気のときに看病に侍して癒してから,上皇の寵を得た。これをねたんだ藤原仲麻呂が764年9月に謀反を起こして敗死した後,上皇は称徳天皇として再即位した。その直後,道鏡は大臣禅師,翌年太政大臣禅師に任ぜられて政権を握り,766年(天平神護2)法王に任ぜられ,供御は天皇に準ずるという史上空前絶後の高位に昇った。769年5月ころ,宇佐八幡神は託宣し〈道鏡を天位につかしめば天下太平ならん〉とあり,これを大宰主神中臣習宜阿曾麻呂が奏した。当時大宰帥は道鏡の弟弓削浄人(ゆげのきよと)であるから,合意のうえの奏上であろう。天皇は夢に八幡神が,神教を聴かせるから尼法均(和気広虫)を派遣せよとあるが,法均は女で軟弱,遠路にたえがたいからと,その弟和気清麻呂を宇佐に派遣した。彼は神前で託宣を請うと,その神託は〈道鏡を天位につかしめば〉という前回と同様であった。彼は〈これは国家の大事なり。信じ難し。願わくは神異を示せ〉と願った。神は忽然と形を現じ身長3丈ばかり,色満月のごとくで,神託は〈わが国は君臣の分定まれり,道鏡は悖逆はいぎやく)無道,神器を望むをもって神震怒し,その祈をきかず。天つ日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒を続(つ)げよ〉とあった。清麻呂は帰京して,これを奏上したため大隅に流されたが,天皇は道鏡を天位につけることを断念した。その後天皇が没すると道鏡も失脚した。
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百科事典マイペディア 「宇佐八幡宮神託事件」の意味・わかりやすい解説

宇佐八幡宮神託事件【うさはちまんぐうしんたくじけん】

奈良時代に道鏡(どうきょう)が天皇位を得ようとして阻止された事件。766年称徳(しょうとく)天皇の寵(ちょう)を得ていた道鏡は法王に任ぜられ,天皇に準じる高位に昇った。769年豊前国宇佐八幡宮(現大分県宇佐市の宇佐神宮)の八幡神が,道鏡を天皇にすれば天下が太平になるとの神託を称徳天皇に奏上(そうじょう)した。天皇は夢で八幡神から宇佐に尼法均(ほうきん)(和気広虫(わけのひろむし))を派遣せよと求められ,代わりにその弟和気清麻呂(きよまろ)を派遣。清麻呂が神託を請うと,〈道鏡は悖逆無道(はいぎゃくむどう)〉〈天つ日嗣(あまつひつぎ)は必ず皇緒(こうちょ)を続(つ)げよ〉との道鏡不適格の託宣(たくせん)を得た。清麻呂はこれを天皇に奏上したため大隅国へ流されたが,天皇も道鏡を天皇の位につけるのを断念し,天皇の死後に道鏡は失脚した。→孝謙天皇藤原仲麻呂
→関連項目由義宮

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「宇佐八幡宮神託事件」の解説

宇佐八幡宮神託事件
うさはちまんぐうしんたくじけん

769年(神護景雲3)道鏡(どうきょう)が皇位をねらった事件。764年(天平宝字8)恵美押勝(えみのおしかつ)の乱平定後,淳仁(じゅんにん)天皇を廃して重祚(ちょうそ)した称徳天皇は皇太子をたてず,祥瑞の出現を演出するなど皇嗣に法王道鏡を意識した宣命(せんみょう)をたびたびだしていた。769年初夏,大宰主神の習宜阿曾麻呂(すげのあそまろ)が宇佐八幡宮の神託と称して道鏡を皇位につけるべきことを奏した。その真偽の確認のため病弱な和気広虫にかわり弟の清麻呂が宇佐におもむき,皇族以外の者は皇嗣になれない旨を上奏。道鏡の野望は阻止され,期待を裏切られた称徳天皇は激怒し,広虫・清麻呂を別部狭虫(さむし)・穢麻呂(きたなまろ)と名をおとしめて備後・大隅両国に配流した。

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世界大百科事典(旧版)内の宇佐八幡宮神託事件の言及

【道鏡】より

…自分からも策謀し,彼の徳政を天がよみすると宣伝した。その最大の事件が宇佐八幡宮神託事件で,769年(神護景雲3)〈道鏡を天位に即かしめば天下太平ならん〉と宇佐八幡の神託の奏上があった。これは道鏡の弟の大宰帥弓削浄人と大宰主神中臣習宜阿曾麻呂と八幡神職団の共謀であったが,和気清麻呂が勅使として派遣され,その謀を見破り,道鏡をしりぞけよとの神託を復命,道鏡の企ては破れた。…

【奈良時代】より

…道鏡は称徳女帝の信任のもと,太政大臣禅師から法王に進み,天皇に準ずる待遇を受けたが,その施策には西大寺建立,由義宮造営,銭貨改鋳など政敵仲麻呂との対抗意識から出たものが多い。宇佐八幡の神託を利用して皇位を窺窬(きゆ)し,和気清麻呂にその野望を絶たれたという宇佐八幡宮神託事件も,つまるところ仲麻呂の対皇室観に対抗して,その意識を一歩進めたものであった。しかし,770年(宝亀1)に称徳女帝が病死すると,独身であったために,ここで永らく続いた天武系の皇統が絶え,代わって藤原百川(ももかわ)らに擁立されて天智天皇の孫白壁王が皇太子となり,道鏡は下野薬師寺別当として追放され,彼地に没した。…

【由義宮】より

…称徳天皇は河内国若江郡の弓削氏出身の僧道鏡を寵幸し,太政大臣禅師さらに法王に任じ,供御は天皇に準ずる待遇を与えた。769年宇佐八幡宮神託事件の直後,10月に天皇は道鏡の出身地,若江郡弓削郷に由義宮と号する離宮を建て,ここに行幸した。河内国を河内職と改め,特別行政地域とし,その長官河内大夫に藤原雄田麻呂(後の百川(ももかわ))を任命した。…

※「宇佐八幡宮神託事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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