朝日日本歴史人物事典 「宇都宮太郎」の解説
宇都宮太郎
生年:文久1.3.18(1861.4.27)
明治大正期の陸軍軍人。佐賀藩出身。宇都宮十兵衛の次男。子の徳馬は政治家。明治18(1885)年陸軍士官学校卒,23年陸軍大学校卒。34~39年イギリス大使館付武官となり,35年日英両国軍共同作戦計画の策定会議に列し,日露戦争(1904~05)中は,欧米の対日世論対策として旅順要塞内非戦闘員の避難勧告を献策し,また滞英中の明石元二郎大佐を補佐するなど裏方として貢献した。のち参謀本部第1,第2各部長,第7,第4各師団長,朝鮮軍司令官などを経て,大正8(1919)年大将に進み,翌年軍事参議官。陸軍内の反長州閥であり,薩摩閥の上原勇作陸軍大臣擁立運動や2個師団増設問題などで活動。<参考文献>上原勇作関係文書研究会編『上原勇作関係文書』,宇都宮徳馬「おやじ・宇都宮太郎」(『朝日ジャーナル』1964.6.14号)
(岸本昌也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報