デジタル大辞泉
「宇野哲人」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
うの‐てつと【宇野哲人】
中国哲学者。
文博。熊本県出身。東京帝国大学卒。東京高師・東大教授、東方文化学院院長、実践女子大学長をつとめた。わが国における中国哲学研究の
権威。
主著「支那哲学の研究」「支那哲学史講話」「
儒学史」。明治八~昭和四九年(
一八七五‐一九七四)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
宇野哲人 (うのてつと)
生没年:1875-1974(明治8-昭和49)
日本の中国哲学者。熊本県生れ。東大で島田重礼,井上哲次郎らに学び,漢学科を卒業。ながく東京高師,東大教授を兼ね,定年後も東方文化学院(現,東大東洋文化研究所)長や実践女子大学長などを歴任。子弟の教育と学会の発展に尽くし,長命を保った。西洋哲学史をモデルに中国思想の体系化を目ざし,《支那哲学史講話》や儒家思想の通史《儒学史 上》《近世儒学》を著し,《支那哲学概論》で宇宙論,倫理説(個性,義務,徳,理想,修養),政治論に分け,伝統的漢学を近代学術に脱皮させる先導者となった。
執筆者:戸川 芳郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
宇野哲人
うのてつと
(1875―1974)
中国哲学者。熊本生まれ。東京帝国大学教授。1936年(昭和11)定年退職後は同大学名誉教授。さらに中華民国の国立北京(ペキン)大学名誉教授、戦後は実践女子大学長などを務めた。研究の面では、江戸時代以来の漢学の伝統を継ぐとともに西欧の哲学を取り入れ、日本の学界が新しい中国哲学および中国哲学史学を確立するうえで啓蒙(けいもう)的、先導的な役割を果たした。『支那(しな)哲学史講話』ほか著書多数。
[山井 湧 2016年3月18日]
『『一筋の道百年――宇野哲人遺著』(1974・集英社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
宇野哲人 うの-てつと
1875-1974 明治-昭和時代の中国哲学者。
明治8年11月15日生まれ。西洋哲学の方法によって中国哲学の体系化をめざした。大正8年母校東京帝大の教授となる。昭和14年北京大名誉教授。のち東方文化学院長,実践女子大学長。昭和49年2月19日死去。98歳。熊本県出身。著作に「支那哲学史講話」「支那哲学概論」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
宇野哲人【うのてつと】
中国哲学者。熊本県出身。東大卒。儒学の研究を中心として中国哲学史および概論,特にドイツ哲学の方法をもって中国哲学を考察した。著書《儒学史》《支那哲学概論》。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報