安重根(読み)アンジュウコン

デジタル大辞泉 「安重根」の意味・読み・例文・類語

あん‐じゅうこん〔‐ヂユウコン〕【安重根】

[1879~1910]朝鮮の独立運動家。黄海道海州の出身日本朝鮮侵略の動きに対し、1907年ごろから義兵運動展開。09年、ハルビン駅頭で初代韓国統監伊藤博文暗殺翌年処刑された。アン=ジュングン。

アン‐ジュングン【安重根】

あんじゅうこん(安重根)

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精選版 日本国語大辞典 「安重根」の意味・読み・例文・類語

あん‐じゅうこん‥ヂュウコン【安重根】

  1. 朝鮮、李朝末期の独立運動家。黄海道海州の出身。日本の朝鮮侵略の動きに対し、一九〇七年頃から義兵闘争を展開。一九〇九年、ハルビン駅頭で初代韓国統監伊藤博文を射殺し、翌年処刑された。アン=ジュングン。(一八七九‐一九一〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安重根」の意味・わかりやすい解説

安重根
あんじゅうこん / アンジュングン
(1879―1910)

大韓帝国(1897~1910。略称、韓国)末期の愛国運動家。現在の北朝鮮黄海南道(こうかいなんどう/ファンヘナムド)海州(かいしゅう/ヘーチュ)出身。字(あざな)は応七(ウンチル)。幼いころから射撃の名手として知られた。1894年、韓国南部で発生した甲午(こうご)農民戦争(東学党の乱)で、父親に従って農民軍の鎮圧に従事。1895年、キリスト教の洗礼を受けた(洗礼名はトーマス)。1905年(明治38)、韓国の外交権を日本に移して韓国を日本の保護国とする第二次日韓協約(乙巳(いっし)保護条約)が締結され、伊藤博文(ひろぶみ)が初代統監に就任すると、安重根は救国の方法を探るために、清国の上海(シャンハイ)に行った。1906年に帰国後は、鎮南浦(ちんなんぽ/チンナムポ)で三興学校を設立するなど、教育活動を通じた救国運動である愛国啓蒙(けいもう)運動に従事した。1907年、高宗(こうそう)皇帝がオランダのハーグで開かれた平和会議に密使を送ったハーグ密使事件が起きると、伊藤は高宗皇帝を退位させ、純宗(じゅんそう)皇帝を即位させた。さらに、韓国の内政権を日本が掌握する第三次日韓協約(丁未(ていび)約条)が締結され、韓国軍は解散させられた。このような状況のなか、安重根はロシアのウラジオストクに亡命、そこで日本に抵抗する義兵活動を行った。1909年5月、伊藤は韓国統監を退き、枢密院議長となった。伊藤が、満州(現在の中国東北地方)のハルビンでロシアの蔵相ココーフツォフVladimir Nikolayevich Kokovtsov(1853―1943)と満州・朝鮮問題について会談するとの情報を得た安重根は、1909年10月26日、列車内での会談を終えてハルビン駅のプラットホームに降りた伊藤を狙撃、射殺した。そしてその場でロシア官憲に逮捕されて、日本の司法当局に引き渡され、関東州の旅順(りょじゅん/リュイシュン)監獄に収監された。殺害理由については、伊藤を「大韓独立主権を侵奪した元凶」であり、「東洋平和を乱す者」だからと主張した。獄中で『東洋平和論』を執筆したが未完に終わった。1910年2月14日、旅順の関東都督府地方法院にて死刑が言い渡され、同年3月26日、旅順監獄で刑の執行がなされた。

[武井 一]

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改訂新版 世界大百科事典 「安重根」の意味・わかりやすい解説

安重根 (あんじゅうこん)
An Chung-gǔn
生没年:1879-1910

朝鮮の独立運動家。字は応七。黄海道海州の生れ。幼時に黄海道信川に移住し,1894年の甲午農民戦争時には父の進士泰勲に従って政府側義兵を起こし同地の農民軍を破った。その後フランス人宣教師から受洗しカトリック教徒となる。1904年,朝鮮が日本の軍事支配下に入ると国権回復の志を強くし,上海に行き同地在留の朝鮮政府旧高官などに運動を呼びかけたが失敗して帰国。06年平安南道鎮南浦に移り,敦義・三興の両学校を設立した。07年中国北間島を経てウラジオストクに赴き,同地を拠点として李範允らと義兵(義兵闘争)を組織する。08年6月義兵を率いて咸鏡北道へ進撃したが敗退。09年前韓国統監伊藤博文のハルビン訪問を知り,その殺害を計画し,10月26日ハルビン駅にて伊藤を拳銃で暗殺した。関東都督府地方法院で死刑判決を受け,翌年3月旅順監獄で処刑された。義士とたたえられ,その行動は永く朝鮮の独立運動を鼓舞した。
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百科事典マイペディア 「安重根」の意味・わかりやすい解説

安重根【あんじゅうこん】

伊藤博文を暗殺した朝鮮民族主義者。黄海道海州の出身。幼時に黄海道信川に移住し,1894年の甲午農民戦争時には父の進士泰勲に従って政府側の義兵を起こし同地の東学党農民軍を破った。その後フランス人宣教師から受洗しカトリック教徒となる。1904年,朝鮮が日本の軍事支配下に入ると国権回復の志を強くし,上海に行き同地在留の朝鮮政府旧高官などに運動を呼びかけたが失敗して帰国。06年平安南道鎮南浦に移り,敦義・三興の両学校を設立した。07年中国北間島を経てウラジオストクに赴き,同地を拠点として李範允らと義兵(義兵闘争)を組織する。08年6月義兵を率いて咸鏡北道へ進撃したが敗退。09年前韓国統監伊藤博文のハルビン訪問を知り,その殺害を計画し,1909年10月ハルビン駅で前韓国統監伊藤博文を暗殺。日本軍に捕らえられ関東都督府地方法院で死刑判決を受け,翌年3月旅順監獄で処刑された。当時の関東都督は長州出身の大島義昌大将で安倍晋三首相はその玄孫である。安重根は,朝鮮では義士とたたえられ,その行動と日本帝国主義批判はのちの朝鮮民族独立運動に大きな影響を与え,韓国ではもっとも人気のある国民的英雄の一人である。著作に《東洋平和論》がある。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「安重根」の解説

安重根(あんじゅうこん)
An Chung-gŭn

1879~1910

朝鮮の独立運動家。1906年,平安南道鎮南浦(ちんなんぽ)で敦義(とんぎ)学校を設立し,人材育成と愛国啓蒙運動に尽力した。07年,独立運動の拠点であったウラジヴォストークに移動し,義兵運動に参加した。09年10月,伊藤博文(前韓国統監)の満洲視察を察知し,ハルビン駅頭で狙撃して殺害した。その場で逮捕され,翌年3月に旅順監獄で処刑された。獄中で『東洋平和論』を執筆。伊藤暗殺の衝撃のもとで,日本は韓国併合を推進した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安重根」の意味・わかりやすい解説

安重根
あんじゅうこん
An Jung-gǔn

[生]高宗16 (1879). 黄海道,海州
[没]隆煕4 (1910).3.26. 関東州
近代朝鮮の民族主義者。伝統的な儒学教育を受け,のちキリスト教に改宗した。義兵運動に参加したが失敗し,国外に逃亡。隆煕3(1909)年満州に潜伏し,前韓国統監伊藤博文をハルビン駅頭で暗殺(→ハルビン事件),同 4年処刑された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「安重根」の解説

安重根
あんじゅうこん
An Jung-gūn

1879.7.16~1910.3.26

李氏朝鮮末期の独立運動家。1905年(明治38)の第2次日韓協約で韓国が日本の保護国となったことに憤慨し,義兵運動に参加した。のちウラジオストクに亡命し,抗日独立運動を展開,韓国の道徳立国を主張し日本の背信を非難した。09年10月26日,ハルビン駅で前統監伊藤博文を暗殺,翌年3月旅順監獄で死刑に処せられた。韓国の国家的英雄。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安重根」の解説

安重根 アン-ジュングン

1879-1910 朝鮮の独立運動家。
高宗16年7月16日生まれ。1905年第2次日韓協約(乙巳(いっし)保護条約)の締結による日本の侵略に抗議,愛国啓蒙運動にくわわる。1907年ウラジオストクに亡命し,抗日義兵運動を展開。1909年ハルビン駅で伊藤博文(ひろぶみ)を射殺。隆煕4年3月26日処刑された。32歳。黄海道出身。

安重根 あん-じゅうこん

アン-ジュングン

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旺文社世界史事典 三訂版 「安重根」の解説

安 重根
アンチュングン
An Chung-gǔn

1879〜1910
朝鮮の愛国者
甲午農民戦争のときは農民を弾圧,その後愛国啓蒙運動に参加。1907年以降ウラジヴォストークを拠点に義兵を組織し,抗日軍を指揮する。1909年伊藤博文韓国統監をハルビン駅で暗殺,翌年旅順監獄で処刑された。

安 重根
あんじゅうこん

アンチュングン

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367日誕生日大事典 「安重根」の解説

安 重根 (アン ジュングン)

生年月日:1879年9月2日
朝鮮の独立運動家
1910年没

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