出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
能楽師。ワキ方下掛(しもがか)り宝生流10世宗家。「あらた」ともいう。本名朝太郎。東京・今川橋に生まれる。希代のワキの名人。1937年(昭和12)に帝国芸術院が創設されると、初代梅若万三郎(うめわかまんざぶろう)とともにその会員に選ばれた。父金五郎(きんごろう)(1841―1905)のスパルタ教育を受けたが、16歳でこの道を離れ、30歳近くなってから能に復帰したという経歴の持ち主だけに、その天分と基礎教育の確かさがわかる。江戸前の美貌(びぼう)と優れた美声に恵まれ、あらゆるシテをもり立てて、能の水準を高めた。高弟に松本謙三(けんぞう)、宝生弥一(やいち)(娘婿)があり、森茂好(しげよし)、宝生哲(てつ)(前名彰彦(あきひこ)。1922―2002)は実子。宝生閑(かん)(1934―2016)、森常好(つねよし)(1955― )は孫にあたる。そのずぼらさに、弟子の夏目漱石(そうせき)が断りの手紙を出しても、またのこのこと稽古(けいこ)に出かけ、漱石も辟易(へきえき)したといった逸話が多い。野上豊一郎(とよいちろう)、安倍能成(あべよししげ)、小宮豊隆(とよたか)ほか、漱石門下も宝生新に学び、能への貢献が大きかった。
[増田正造]
『『宝生新自伝』(1959・能楽書林)』
能楽師,ワキ方宝生流10世宗家。本名朝太郎忠英。9世宝生金五郎の長男で,主として8世新朔(父の実兄で養父)に師事した。端正な風貌と天性の名調の持ち主で,闊達(かつたつ)自在な芸を見せ,明治・大正・昭和3代にわたってワキの名人との定評を受けた。松本謙三,宝生弥一,森茂好らを養成し,ワキ方の正統な技芸をのちに伝えた功も著しい。1937年帝国芸術院創設と同時に会員となる。著書に《宝生新自伝》がある。
執筆者:羽田 昶
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ワキ方諸流のなかでは最も新しい流派であるが,代々名人が輩出し,近代では,明治の三名人(初世梅若実,桜間伴馬(ばんま),16世宝生九郎)を超える名手といわれた8世喜勢太郎英才(新朔(しんさく)。1836‐98),9世金五郎英周(1841‐1905)の兄弟が名高く,金五郎の子10世朝太郎忠英(宝生新(しん)。1870‐1944)は,初世梅若万三郎とともに1937年第1回の帝国芸術院会員となった名人。…
※「宝生新」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新