〈家〉に付随する財産の単独相続と結合した〈家〉の統率者の地位・身分を継承する相続制度をいう。すでに中世から,武士と農民層で広く行われてきた家長の地位と〈家〉の財産(家督)をおもに長男子に独占的に相続させるというこの制度を,近代国家に編入することこそは,明治政府の最重要な課題であった。まず,1871年(明治4)公布の戸籍法(壬申戸籍(じんしんこせき))で明治政府は,〈家〉の代表者の戸主に国家行政の最末端の権力の担い手たる戸長を兼ねさせた。このようにして制度としての〈家〉は天皇制国家の基底に据えられた。経済的には〈家〉の代表者たる戸主に零細な資本を集中し,戸主の資力と資本の給付力の維持が図られた。家督相続は〈家〉の代表者たる戸主の地位の交替を意味した。ところが地租改正,殖産興業の進展につれ,社会の基礎に私権の担い手としての自由平等な個人を置く思想が強くなった。かくて,近代的平等原理の影響下に,87年の身分法第1草案は,戸主と家族間に特殊な法的差異を設けなかった。すなわち,家督相続は,〈其家ノ特権ニ属スモノ(系譜,爵,族称,世襲財産,祭具,墳墓地,屋号,商標,本宅,其宅地,其他相伝ノ重器)〉に限った。その他の財産については,長男以外の者(成年,未成年,男女,嫡庶を問わず)にも相続分を認めた。また妻の権利能力と相続分も認めた。
だがこの草案に対しては,家産の分散による資本の給付力の低下と,国家体制の基礎単位である〈家〉の解体をおそれる強力な反対意見が出された。この状況をふまえて89年の民法人事編再調案では,戸主の単独承継と家産の維持が図られた。また,戸主の〈家〉維持の義務と身分上の統制権も規定された。これが,90年民法人事編,財産取得編(旧民法)として公布されたときは,戸主の地位と財産所有の結合はいっそう強化されていた(隠居相続に財産留保を認めないなど)。しかし,旧民法の立脚する自然法思想に体制の危機を感じた政治的相克(法典論争)により,その施行は延期された。90年の法典調査会の審議を経て,98年公布の民法旧規定は,家督相続の長男子単独相続と遺産相続の分割相続という原則を確定した。すなわち,家督相続は,戸主の身分(戸主権)および財産の単独相続である。戸主以外の家族員には遺産相続があった。だが,主要な遺産にかかわる家督相続の開始は,被相続人の死亡の場合に限らない。戸主が戸主権を行いえないようなこと(戸主の死亡・隠居・国籍喪失・婚姻または縁組による去家,入夫婚姻,入夫婚姻によって戸主となった入夫の離婚)が生じれば開始する。家督相続人となる者は,まず直系卑属であるが,直系卑属がないときは被相続人の指定した者,以上の者がないときは直系尊属,それもいない場合は親族会が一定の家族の者から選定する。以上のほかに民法旧規定が〈家〉の維持に深く配慮していたことは,法定推定家督相続人は家督相続を放棄できないこと,系譜,祭具,墳墓の所有権を家督相続の特権に属させたことなどにも現れている。
その後の体制の危機に際し,淳風美俗(じゆんぷうびぞく)の立場から家督相続の強化が臨時教育会議(1923),臨時法制審議会などでもくろまれたが,かえって配偶者相続権,嫡出女子の庶男子優先など,長男子単独相続の後退(1927年の相続法改正要綱)が示された。しかし,実施には至らなかった。家督相続は,戦前においても資本主義の発展に伴い〈家〉が形骸化すると,戸主である長男が遺産を独占し家族員を支配する不平等,不合理な面が顕著になっていた。しかし,それは〈家国一体〉の〈家〉制度の主柱であったから,その廃止は第2次大戦の敗戦と占領の衝撃による〈家国一体〉体制の解体を待たなければならなかった。戦後憲法における〈個人の尊厳〉と〈両性の本質的平等〉原理の貫徹に合わせて,1947年〈民法応急措置法〉は家督相続を廃止した。だが,48年の改正民法はなお,〈系譜,祭具,墳墓の所有権〉を〈祖先の祭祀を主宰すべき者〉に承継させた(民法897条)。これが,〈家〉制度温存の規定だとする強い批判があったが,そのまま今日に至っている。
→家族制度 →祭祀財産 →相続
執筆者:依田 精一
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戸主(家の長)の身分と財産とを1人の人が受け継ぐ形(単独相続)の相続をいう。主として封建時代の武士階級の相続法に範をとって、1898年(明治31)に制定された民法(旧民法)で採用されたもので、第二次世界大戦後、現行民法(1947)が制定されるまでの、家の制度の中心をなすものであった。戦後、家の制度が新憲法の理念に反するものとして廃止されたのに伴い、家督相続も廃止された。
家督相続は、戸主が死亡した場合のほか、戸主の隠居・国籍喪失、入夫婚姻(女の戸主との婚姻)など、被相続人の生存中に相続が開始されることがあった。家督相続人となる者は1人で、まず直系卑属のうち、親等の近い者、男と女では男、年長者と年少者では前者が選ばれ、したがって普通は長男が相続した。直系卑属がない場合には、被相続人の指定した者、一定の家族のなかから一定の選定権者が選定した者などが相続することになっていた。
家督相続は、戸主の財産を承継するだけでなく、戸主の身分をも受け継ぐ(身分相続)とされていた点も現在の相続とは大きく異なる。また、法定推定家督相続人(被相続人の直系卑属である相続人)は相続を放棄することは許されなかった。なお、当時においても、戸主以外の家族が死亡した場合には、現在の相続法と同じような共同相続法(家督相続に対して遺産相続とよばれ、現行民法では相続という)が行われていた。
[高橋康之]
1人の子弟,おもに長男が家長としての地位や身分=家督を継承し,あわせてその財産を独占的に相続する制度。室町中期以降,武家の間で長子相続が発達し,近世には武家の相続制度として家督相続が制度化され,庶民の間にも浸透した。明治政府は,天皇制国家体制の基盤として家父長的家族による「家」をおき,その代表としての戸主に種々の権限を与えた。明治民法はそうした戸主権について,戸主の財産とともに長子が単独で相続すると規定し,相続は戸主の交代を意味した。第2次大戦後,国家体制と結びついた「家」の解体を行うため,その根幹となった家督相続は法的に廃止された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…改正前の民法旧規定における家族制度の中心的概念で,〈家〉の統率者,支配者。戸主とは,いわゆる家督相続によって得られた地位にほかならないのであり,家督相続は原則として長男の単独相続とされた。戸主の死亡,隠居などによって家督相続が開始されると,長男が新たに戸主となり,その戸主を本とする戸籍が編製された。…
…後者について記すならば,大名の場合側妾を置くことが普通であったので,おのずから庶子が多くいたが,嫡出,庶出が問題になるのはおもに相続のときである。正妻に男子がいるときは庶子の兄がいてもこの嫡出子が家督相続人たる資格をもつ。嫡出男子が存在しないか死亡して庶子のみとなった場合は,原則として庶子の年長者が相続人となる。…
…また,相続は,財産法上の地位の承継であって,身分法上の地位(たとえば,夫であること)には及ばない。明治民法では戸主の地位の承継としての家督相続が認められていたが,現行民法はそれを全廃したため,相続は純粋に財産法上の地位すなわち権利・義務の総体の承継となった。なお,財産法上の権利義務であっても,扶養請求権のような一身専属的な性質を有するものは除外される(民法896条但書)。…
…養子の離縁(養子差戻しともいう)は,武士の場合は,養方実方両家が双方熟談のうえ,理由(病気,心底にかなわないなど)を記して,養子差戻願,養子取戻願を差し出し,主君の許可を受けることで成立した。養子が養家を家督相続した後は,養親もこれを離縁することができなかった。百姓,町人の場合は,養父は,養子が家督相続する前であれ,後であれ,心底にかなわない養子を離縁できたし,養子の側からの離縁請求も可能であった。…
※「家督相続」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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