デジタル大辞泉
「寛仁」の意味・読み・例文・類語
かんにん〔クワンニン〕【寛仁】
平安中期、後一条天皇の時の年号。1017年4月23日~1021年2月2日。
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かん‐にん クヮン‥【寛仁】
[2] 平安中期、後
一条天皇の代の年号。長和六年(
一〇一七)四月二三日代始により
改元。寛仁五年二月二日
治安(じあん)と改元。摂政
関白藤原頼道の
時代。
出典は「
会稽(かいけい)記」の「寛仁
云々」。
かん‐じん クヮン‥【寛仁】
〘名〙 (形動) 寛大で慈悲深いこと。心が広く、思いやりのあること。また、そのさま。かんにん。
※玉塵抄(1563)
二五「寛
(クヮン)仁な者ぞ、其の心で
宰相になったぞ」
※
読本・
椿説弓張月(1807‐11)後「願くは寛仁
(クヮンジン)の
制度(さた)をもて、放
(ゆる)し給へかし」 〔
史記‐韓信伝〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
普及版 字通
「寛仁」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
かんにん【寛仁】
日本の元号(年号)。平安時代の1017年から1021年まで、後一条(ごいちじょう)天皇の代の元号。前元号は長和(ちょうわ)。次元号は治安(じあん)。1017年(長和6)4月23日改元。後一条天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『会稽記(かいけいき)』を出典とする命名。1017年(寛仁1)、藤原道長(みちなが)が太政大臣に就任した。道長は1019年(寛仁3)に病のため出家して無量寿院の造営に着手、同年には嫡男の藤原頼通(よりみち)が関白となった。
出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報