江戸幕府直参(じきさん)組織の一つ。無役直参の士の格式をも示し、小普請役を勤めたところから役職の一種とも考えられる。幕府では無役の直参中、家禄(かろく)3000石以上の士、およびそれ以下でも特定の家柄の士、また布衣(ほい)以上の役職にあった士が寄合(よりあい)に編入され、家禄3000石以下の士および本来は寄合の座班・資格をもつ士がときに処罰され小普請に編入された(ただし、中間(ちゅうげん)、小人(こびと)、黒鍬者(くろくわのもの)、駕籠(かご)者、掃除者の五役は、無役になっても小普請には編入されず、目付支配無役として別扱いにされた)。
起源は、老人あるいは幼少で無役の者が、その埋め合わせに営中の小普請に家士・奉公人を人夫として差し出したところにあるという(夫役(ぶやく)の負担)。これは1675年(延宝3)もしくは1689年(元禄2)に金納にかわり、それを小普請金(こぶしんきん)といった(役金の上納)。寄合の場合は寄合金ともいう。これらを小普請役と称した。89年の制では、家禄20俵以下は役金の上納は免除され、20俵より50俵の内までは金2分、50俵より100俵の内までは金1両、100俵より500俵の内までは100俵につき金1両2分、500俵より以上は100俵につき金2両を上納する定めであった。寄合は100石につき金2両の割合であった(石も俵も同断)。初め留守居(るすい)の支配に所属し、1716年(享保1)には5組、3184人を数えた。1719年、200石以上の士は小普請組支配(老中支配、役高3000石、布衣、中之間詰)の管掌下に移された(10組)。1753年(宝暦3)、留守居の支配は廃止され、200石以下の士は小普請組支配の所属となった(12組)。これ以後、御目見(おめみえ)以上の士(旗本)を小普請支配、御目見以下の士(御家人(ごけにん))を小普請組と唱えた。各組に支配(頭)1人、組頭2人のち1人(頭支配、役高200俵、役料200俵のち300俵、御目見以上、焼火間(たきびのま)詰)があり、このほかに世話役、世話取扱、小普請金上納役などが所属し、小普請医師も配下にあった。1866年(慶応2)、小普請は廃止され(1863年=文久3年には5組に減じていた)小普請組支配は勤仕並(きんじなみ)寄合となり、配下の士は小普請支配、小普請組ともに海軍陸軍両奉行(ぶぎょう)並支配、同両奉行並組に編入され、小普請組のうち50俵以下の士は御持小筒組並(おもちこづつぐみなみ)、同勤方となった。
[北原章男]
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江戸時代の旗本,御家人で老幼,疾病や処罰などにより無役の3000石以下のもの。3000石以上の旗本は寄合に編入された。はじめ留守居支配に属し,1719年(享保4)から老中支配のもとに小普請支配が置かれ,これに属した。組に分けて統率され,46年(延享3)組頭を組ごとに1人置いた。元来無役の旗本・御家人は営中その他の小普請に人足役を出す義務を負ったが,1675年(延宝3)高1000石につき金10両の金納に改めるよう計画され,90年(元禄3)より小普請金上納が実施された。知行高に応じ,20俵以下は免除,20~50俵は金2分,50~100俵は金1両,100~500俵は100俵につき金1両2分,500俵以上は同金2両の割合で,扶持方もこれに準じ,閉門・逼塞(ひつそく)のものは免除された。小普請金は交代寄合を含む寄合からも徴収され,7月に3分の1,11月に3分の2を取立役人から元方金蔵に納めたが,1775年(安永4)以後直接後藤庄三郎役所が受け取った。1866年(慶応2)組支配は廃され海陸軍両奉行支配となったが,翌年留守居支配となった。
執筆者:大野 瑞男
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