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日本救世軍の創立者。日本の代表的大衆伝道者の一人。岡山県の農家に生まれる。1887年(明治20)上京して印刷工となり、キリスト教の街頭伝道に触れて入信する。苦学しながら新島襄(にいじまじょう)を慕って同志社に学ぶ。救世軍の事業たる労働者セツルメント、廃娼(はいしょう)運動、禁酒運動、職業紹介、病院・療養施設などを通して社会福祉の向上に大きな貢献をした。山室の創意による社会鍋(なべ)の相互扶助募金活動は、現在でも大都市の歳末風物詩として広く親しまれている。彼の意図は、キリスト教の福音(ふくいん)を下層労働者、一般庶民に、具体的・現実的方法によって伝えようとするものであった。その多くの著作も単純平易な福音の力強い説き明かしを特徴とする。代表作に『平民の福音』(1899)、『山室軍平選集』10巻、別巻1。
[金井新二 2018年3月19日]
宗教家。日本における救世軍の建設・発展に尽くした。岡山県の山村に生まれ,上京して活版工となり,キリスト教の路傍伝道に導かれて15歳のとき入信,徳富蘇峰から新島襄を知り,17歳から22歳まで同志社で苦学して神学を学んだ。いったん伝道師となったが,23歳で救世軍に入り,その下足番から発足して,全生涯を救世軍の発展に献身し,東洋最初の救世軍司令官に任ぜられ,世界にも数少ない中将に昇進した。彼の説教は熱弁かつ重厚,つねに人の肺腑をつく迫力をもって知られ,平明にして庶民の実生活に即したその著《平民の福音》は実に490版を重ねた。神と人道のために,身を低くして奉仕に徹して生きた彼の軌跡は,同志社の同僚留岡幸助と並んで,社会事業開拓活動のひろい分野に及び,廃娼運動,児童保護,職業紹介,結核療養など,終始一貫,貧しき者の友として働いた。
執筆者:嶋田 啓一郎
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(篠崎恭久)
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1872.7.29/8.20~1940.3.13
明治~昭和前期の宗教家。救世軍日本司令官。岡山県の農家に生まれ,上京し活版工のとき路傍伝道を聞き感動し入信。1889年(明治22)新島襄を慕って同志社入学。濃尾地震のとき石井十次(じゅうじ)の孤児救済活動に協力。95年創立まもない救世軍に入隊,1926年(昭和元)日本司令官に就任。娼妓自由廃業・労働紹介所設置・慈善鍋運動・療養所設置など貧民救済や人権保護に尽力した。
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…在来の教会では対処しえない社会的ニーズに即応するその進撃的態度は,めざましい活力を発揮し,ロンドンに万国本営を置き,各国に本営,連隊,小隊,分隊等の組織をもつ国際的団体へと発展した。 1895年,ライト大佐一行の来日によって日本救世軍が創立され,《ときのこえ》を発刊し,山室軍平がその最初の士官候補生として挺身した。その教義の特色は改悛による聖潔生活の厳守にあり,霊魂の不滅,からだのよみがえり,世の終りの総審判,正しき者の永遠の幸福および悪しき者の永遠の刑罰を信ずるオーソドックス信仰に拠っている。…
※「山室軍平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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