日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本東次郎」の意味・わかりやすい解説
山本東次郎
やまもととうじろう
(1898―1964)
能楽師。大蔵流(おおくらりゅう)狂言方。山本東次郎家3世。前名、河内晋(かわちすすむ)。名乗(なのり)、則重(のりしげ)。山本東次郎家は、江戸時代には豊後(ぶんご)竹田・中川藩の江戸詰(づめ)狂言方で倉谷八三郎(くらたにやさぶろう)の芸系を受けた初世東次郎則正(のりまさ)(1836―1902。隠居名、東(あずま))に始まり、その長男の2世東次郎則忠(のりただ)(1864―1935)が古格を守った剛直な芸風を確立した。3世東次郎は大分県竹田町(現竹田市)に生まれ、1907年(明治40)上京し、2世東次郎に入門、29年(昭和4)に養子となる。師父の風を継承し、能と狂言は表裏一体をなす同質の芸であるとの主張のもとに、修飾の少ない端正な舞台に終始した。第二次世界大戦後、全国に学校巡演を行い、狂言を青少年層に普及した功績は大きい。著書に『間(あい)狂言の研究』がある。4世東次郎則寿(のりひさ)(1937― )、則直(のりただ)(1939― )、則俊(のりとし)(1942― )の三男とも家芸を継ぐ。
[小林 責]