山路城跡(読み)やまじじようあと

日本歴史地名大系 「山路城跡」の解説

山路城跡
やまじじようあと

[現在地名]東灘区田中町二丁目

JR東海道本線摂津本山せつつもとやま駅の西五〇〇メートルにあったといわれる中世の城跡。明治七年(一八七四)の鉄道建設で遺構は破壊されたが、以前には的場まとばしろまえなどの字名が残り、現在の本山中学校付近が主郭といわれていた。「摂津志」には「田中村に在り、観応年間赤松範顕ここに拠る」と記される。


山路城跡
やまちじようあと

[現在地名]中村市山路

四万十しまんと川と山路川の合流点上流、四万十川南岸にそびえる標高約六〇メートルの山の上にある。その直下はかつては深い淵であった。西に連なる丘が低いので、ちょうど独立したかのような突出部に城が築かれている。四万十川下流域が一望できる位置にあり、突出した山の形が亀の頭に似ているところから亀の浮き城とよばれていた。城主は山路氏、のち波川玄蕃、さらに光富二良兵衛に代わる(中村市史)。天正一七年(一五八九)の幡多庄山路村地検帳は「自是城屋敷」として「今城」「ベイノタン」「西二ノヘイ」「安田ノタン」「大門ノ下」「詰」「三ノ塀」などのホノギをあげ、屋敷・城屋敷を計一〇記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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