岩佐純(読み)いわさ・じゅん

朝日日本歴史人物事典 「岩佐純」の解説

岩佐純

没年明治45.1.5(1912)
生年天保7.5.1(1836.6.14)
明治時代の医学者。近代日本医学の学制を築いた。越前国(福井県)元三上町の医師玄珪の長子。幼名又玄。坪井信良,坪井芳州,佐藤尚 中らに医学を学ぶ。また長崎に遊学しポンペに師事,万延1(1860)年福井藩主の執匙侍医となる。元治1(1864)年再度長崎でボードインより医学の伝習を受ける。明治2(1869)年医学校創立取調御用掛となり,相良知安と共に医学教育制度の範をドイツにとることを力説し,実現する。次いで学校権判事,文部大丞,宮内省大侍医,宮中顧問官累進。高等官1等になり男爵を授けられる。墓所は東京都品川区の天竜寺。<著作>『急性病類集』

(寺畑喜朔)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩佐純」の意味・わかりやすい解説

岩佐純
いわさじゅん

[生]天保6(1835).福井
[没]1912.1.5. 東京
医師。坪井信良に蘭学を学び,佐倉佐藤尚中から蘭方を,さらに長崎養生所で J.L.C.ポンペと A.ボードゥインに学んだ。明治2 (1869) 年,相良知安とともに新政府の医学取調御用掛に任じられ,ドイツ医学採用のために働く。同年 11月大阪医学校開設に尽力し,1872年宮内省侍医。 98年宮中顧問官となる。 73年東京府病院設立に際し,同病院長となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩佐純」の解説

岩佐純 いわさ-じゅん

1836-1912 幕末-明治時代の医師。
天保(てんぽう)7年5月1日生まれ。坪井為春,佐藤尚中に,その後長崎でポンペやボードインにまなぶ。維新後,医学校取調御用掛となり,ドイツ医学導入を主張。明治5年以降天皇の侍医をつとめた。明治45年1月5日死去。77歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。字(あざな)は仲成。通称は又玄。号は黙斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android