出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
〈アラカン〉の愛称で親しまれた映画俳優。本名高橋照市。京都府出身。片岡千恵蔵と共にマキノプロに入社。当時の名まえは嵐長三郎(ほぼ1年後,独立して寛寿郎を名のる)で,1927年《鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子》でデビュー。黒紋付の着流しと三角覆面の鞍馬天狗=〈天狗のおじさん〉が誕生した。以後,30年間に40本の〈天狗映画〉に出演。もう一つの当り役とされたのが《右門一番手柄》(1929)を第1作とする〈むっつり右門〉こと〈右門捕物帖〉シリーズで,25年間に35本。この二大シリーズをおもしろくし,さらにもう一つの小シリーズ〈なりひら(業平)小僧〉を生み出したのは,28年に設立された寛寿郎プロに,マキノプロからシナリオ・ライターとして移ってきた山中貞雄であった。やがて監督として一本立ちした山中のメガホンのもとに,《抱寝の長脇差》《小判しぐれ》(ともに1932)といった名作を生んだ。口をへの字に結んで眉をつり上げる独特の表情で,喜怒哀楽をあらわにしない顔(むっつり右門は,彼が小さいころから敬愛していた〈笑わぬ喜劇王〉バスター・キートンを手本にしたという)と,切っ先鋭くすばやいタテの動きで,バンツマ(阪東妻三郎),千恵蔵,月形竜之介とともに〈四剣豪時代〉を築いた。第2次世界大戦後,新東宝映画《明治天皇と日露大戦争》(1957)で〈天皇〉を演じ,当時破格の配収(5億4000万円)をあげて〈アラカン天皇〉の異名をとる。以後,〈任俠映画〉の老やくざを演じたり,今村昌平監督の《神々の深き欲望》(1968)にも出演。晩年は,貫禄あるとぼけた老人のイメージで脚光を浴び,日ごろの口ぐせどおり〈死ぬまで役者〉の生涯を貫いた。
執筆者:山田 宏一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
映画俳優。本名高橋照市。京都生まれ。歌舞伎(かぶき)の女方で嵐和歌太夫(たゆう)といったが、1927年(昭和2)マキノプロへ入社、嵐長三郎の芸名で『鞍馬天狗(くらまてんぐ)異聞・角兵衛獅子(じし)』(1927)に初出演。にがみばしった顔だちと迫力ある立回りのうまさで一躍人気スターとなる。のち嵐寛寿郎と改名、戦前・戦後を通じて数多くの時代劇映画で活躍、「鞍馬天狗」「むっつり右門」の各シリーズを当り役とした。『明治天皇と日露大戦争』(1957)では、映画俳優初の天皇役を演じて大きな話題をよんだ。
[長崎 一]
『竹中労著『鞍馬天狗のおじさんは――聞書アラカン一代』(1976・白川書院)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…以後,その本数は63本を数え(61本との説もある),歴代の鞍馬天狗俳優は,尾上松之助のあと,嵐長三郎(のち寛寿郎),市川百々之助,坂東好太郎,斯波大輔,榎本健一,杉山昌三九,佐分利信,島田正吾,小堀明男,東千代之介,市川雷蔵である。鞍馬天狗役を最大の当り役としたのはアラカンこと嵐寛寿郎で,27年のデビュー作《鞍馬天狗余聞・角兵衛獅子》から56年の《疾風!鞍馬天狗》まで,前記63本のうち40本に出演した。マキノ映画からはじまって,かかわった映画会社のどこでも必ず鞍馬天狗役を演じたことになり,アラカン=鞍馬天狗というイメージは不動のものとなった。…
…大震災後,日活,松竹が東京から京都へ映画製作の拠点を移したことや,京都のマキノ映画の活躍によって,京都は〈日本のハリウッド〉と呼ばれるまでになり,古い建物や風景を生かして時代劇づくりがいっそう盛んになった。マキノからは,《刃光》《美丈夫》の月形竜之介,《黒髪地獄》《快傑夜叉王》の市川右太衛門,《鞍馬天狗余聞・角兵衛獅子》の嵐長三郎(嵐寛寿郎),《万花地獄》の片岡千恵蔵など,新しい時代劇スターが続出した。また,松竹は,阪東妻三郎プロダクションと組んで,〈東山三十六峰静かに眠る。…
※「嵐寛寿郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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