朝日日本歴史人物事典 「川島甚兵衛(2代)」の解説
川島甚兵衛(2代)
生年:嘉永6.5.22(1853.6.28)
明治期の織物工芸家。京都の呉服悉皆屋上田屋(川島)甚兵衛(初代)の長男。幼少時より織物図案,製法に天稟をみせ,美術織物の製作に邁進する。明治12(1879)年父の死後,家業を継ぐ。18年五品共進会への出品が契機となって,農商務大輔品川弥二郎の知遇を得,翌年ともに渡欧。パリの国立ゴブラン製造所でゴブラン織(タペストリー)を見学,ベルリンでは甚兵衛が持参した織物見本1万点が大好評を博した。19年末皇居造営御用織物の製作のため約1年半の洋行を終え帰国。帰国後は綴錦の製作に邁進,「富士巻狩図」「武具曝涼図」「若冲動植物採画図」「雲鶴之図」などを代表作とする大作を次々と発表し,内外の博覧会で数々の賞を受賞。綴錦の大成は,甚兵衛の夢であり,生涯をかけた最大の事業であった。また,西陣織物の改良,新製品の開発,海外への販路拡張の努力などにも数々の先覚者的貢献があった。しかし,甚兵衛の美術織物への傾注は,家業の川島織物の経営を傾けてしまうこともあり,甚兵衛には芸術的な才能と経営手腕の不均衡がみられた。<参考文献>川島織物『錬技抄―川島織物145年史』,橋本五雄『恩輝軒主人小伝』
(松本貴典)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報