川額村(読み)かわはけむら

日本歴史地名大系 「川額村」の解説

川額村
かわはけむら

[現在地名]昭和村川額

現昭和村の西南端に位置し、西は利根川で限られる。村は利根川に沿う入原にゆうばら・川額と東部の永井ながいの三組に分れる。永井は康治二年(一一四三)八月一九日の太政官牒案(安楽寿院古文書)に、土井出つちいで笠科かさしな庄の南限として記す「長江坂」に比定される。沼田街道が通り、同街道を北に向かうと森下もりした村。東は赤城山西麓の原野に続く。天正八年(一五八〇)真田昌幸は、「河はけ」のうち六〇貫文の地を戦功により服部右衛門尉に宛行っている(同年七月一日「武田家定書写」吉川金蔵氏所蔵文書)。寛文郷帳によると田方一八五石余・畑方七六五石余。高のうち九二八石は幕府領分、二三石は前橋藩領分。江戸後期の御改革組合村高帳では旗本村越領、家数二三八。宝永六年(一七〇九)鉄砲改帳控(高橋文書)によると村人一四名が鉄砲を所持。七挺は猟師鉄砲、七挺は威し鉄砲。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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