デジタル大辞泉 「市場」の意味・読み・例文・類語
いち‐ば【市場/市▽庭】
2 小売店が集まって常設の設備の中で、食料品や日用品を売る所。マーケット。「公設―」
[類語]市・河岸・バザール・マーケット・取引所・朝市・競り市・年の市・草市・蚤の市・バザー・フリーマーケット・ガレージセール
翻訳|market
和語としての市場(いちば)は、中世から使用例がある。幕末の「英和対訳袖珍辞書」(一八六二)の「market 市場」には、読みは示されていないが、明治初期の「附音挿図英和字彙」(一八七三)に「market 市(イチ)」「market place 市場(バ)」とある。その後、漢語の隆盛に伴い、多くの和語が字音読みされるようになったが、この語もその一つである。
市場の定義としては次の三つが考えられる。(1)多くの人々が一堂に会し,財を売り買いする場所,というのがもともとの意味である。そこでは需要と供給が出合い,財の価格,売買される量をめぐって,需給のあいだの競争を含む相互作用が演じられる。現在でも市場を〈いちば〉と発音する場合は,具体的な場所をさしている。市(いち)もまた同じである。(2)しかし近代産業社会(市場社会とも資本主義社会ともいう)の出現にともない,市場は,場所という具体性をもたなくなり,競争の要素を強くもつ売り買いの制度全体をさすようになった。これは,生産者と最終消費者のあいだに仲買人,卸商,小売商と多くが介在することになり,売買の場所は互いに関連をもちながらも,取引所,卸売市場,小売店舗,長期契約取引などに分化し広範囲に散らばることになったためであるが,さらに,資金支払による雇用関係(賃労働)が一般に広がり,金融(貨幣の貸借が貨幣利子支払をともなう)関係も大規模になったためでもある。これら雇用や金融においては,多くの売手,買手が一堂に会することもなく,売買の成立する場所も特定されないにもかかわらず,需給は,文化的伝統,社会慣習,取引慣行,法などの枠内ながら,通信手段による情報の流れ,運輸による移動をとおして,国民経済的規模で,賃金率,利子率で調整される。これら雇用,金融関係も競争的要素を含んで貨幣支払によってなされるところから,それらを財市場に擬すことができるようになった。すなわち雇用は労働力商品ないし労働サービスの売買で労働市場をなし,金融は貨幣使用や債券売買,いわゆる金融商品の売買であり,金融市場においてなされるとみなされることになった。こうして市場は,場所からいっても機能からいっても局所的なものでなく,社会的機能をもつがゆえにそうなるのだが,他の社会制度からの限界づけや他の制度との調和を伝統,慣行,法規則などのかたちで制度に組み込んだ売買の制度であるといえる。(3)ところで経済学では,いっそう抽象的なかたちで市場を構想する。それによれば市場とは,いわば無名の経済人(ホモ・エコノミクス)たちがセルフ・インタレストを動機にして自由に作用しあい,各財・サービスの需要・供給関係を価格によって調整していく機構(メカニズム)である。したがって完全な市場では,一部の人々にのみ特許状のような特権が与えられることも価格の動きに統制が加えられることもなく,個々人の自由な判断が価格の媒介的な役割に導かれて全体的に調整されていく。フランスの経済学者L.ワルラスによって展開された一般均衡理論はこうした市場把握の典型である。
以上,三つの市場は互いに観点を異にしているが重なるところもある。以下にもみるように,市場が社会制度の一つであることからしても,そして最も包括的であるという点からしても,(2)の市場が定義として適当である。包括的だというのは,(1)の市場は売買の場所が具体的に制度として決められた(2)の市場であると規定できるし,(3)の市場は(2)の規定のなかで制度的な限定がほとんどゼロの特別の場合であるとすることができるからである。
市場というものがいつごろ生まれたかはっきりはしないが,文明発生期から人間の集まり住む都市にはすでに市場はあったといわれる。この場合,市場の開設は支配者の権限であって,取引場所,売り買いされる財の種類・量,使用される貨幣など,そして場合によっては交換比率(価格)も規定されていた。古代ギリシアでは市場はアゴラagoraとよばれ,同時に政治の場でもあった。古典期アテナイではアゴラは民主主義の重要な位置を占め,〈戦争すらも市場で決定された〉といわれるほどである。政治集会に参加すると手当が支払われ,この手当でアゴラの商人(カペロスkapēlos)から食料が購入されたのである。他方,エンポロスemporosとよばれる海外からの商人もアテナイの支配層の庇護(ひご)と制限のもとにアゴラで貿易にたずさわった。また古代ローマの都市の中央にあった大広場はフォルムforumとよばれ,財の売買のほか,裁判や市民集会の場としても機能した。このように市場は,政治,文化,社会から独立ではなく,これらに庇護され,これらの状況のなかに組み込まれた制度であった。
中世ヨーロッパにおいては市場を形成する要因のうち宗教が顕著なものとなった点が注目される。歳市を意味するメッセMesse,フェーリアエferiaeは同時に〈礼拝〉の意味にも使用されている。市場開設の特許状のほとんどは教会に対して出され,教会は祭礼にあわせて市場を開いた。また人の集まりをよくするために,教会は争って聖遺物reliquiaを獲得しようとしたほどである。市場は宗教的に場所,時が限定されるかわり,商人の特権や裁判規定を含む市場特有の商業慣習法が形成され,市場に掲げられた市場十字架Marktkreuzや市場の旗Marktfahneに象徴されるように教会や王権によって市場取引の安全性や殷盛(いんせい)が確保されたのである。〈都市の空気は自由にする〉といわれるほど当時の状況のなかでは市場は自由の気の最も大きいところと認められていたが,それは政治と宗教とによって枠づけされたものであった。
王権が強まるにつれ,市場は国力充実の観点から一国規模での整備が図られるようになり,外国貿易も拡充が図られた。それとともに市場は政治,文化にほとんど完全に従属した位置から独立性を徐々にもつようになった。市場的な活動にかけられていた規制の撤廃が叫ばれ,自由放任が主張されるようになり,市場社会が準備されていった。
生産・消費・流通という経済の全局面がおもに市場の価格メカニズムによって調整されるような社会を市場社会とよぶが,これは産業革命後の19世紀イギリスを嚆矢(こうし)とする。その後,西ヨーロッパ諸国,アメリカなどがつぎつぎと市場社会となっていった。市場社会では原材料が市場をとおして供給されるのはもちろんのこと,欠くことのできない生産要素である労働も労働市場をとおして供給される。労働の移動がおおむね自由に行われ,機械制大工業の発達によって需要される労働がほぼ同質になることで,大量の労働需要と大量の労働供給が貨幣賃金の上下に媒介され調整されるようになる。こうなれば賃金によって生活する人の数は当然きわめて多くなる。そこで穀物をはじめとする生活財が大量に売買されることになる。原材料,工業製品などと同様に食料品についても常設の取引所,卸売市場で大規模に取引され相場が建てられ,広く散在する多くの生産者と最終消費者の供給と需要を社会的規模で調整する。そこでは直物取引だけでなく,長期にわたる需給の調整を図る先物取引も盛んに行われる。
さらにまた,このように大量の財が円滑に生産され,大量の労働者が雇用されていくには,一般的に資源が適材適所に配分されていかなければならない。このような資源の流動性は貨幣の流動性,すなわち遊休貨幣や創造通貨が資源の有効利用のために貨幣を必要としている部面に円滑に提供されていくことによって確保される。市場社会ではこのための短期・長期の資金の融通が,普通銀行をはじめとするさまざまな金融機関による仲介,引受機関の活動が中心となって形成される金融市場における利子率や利回り(金融の価格)をとおしてつけられていく。あるいは金融の需給が調整されていく。
こうして市場社会では金融市場,財市場,労働市場における価格メカニズムによって経済が調整されていく。市場は政治や宗教などの統制から独立しており,各人がもっぱらみずからの経済的関心に従って機能するという点で,自由の制度であるとされる。しかし市場は内部においても外部に対してもすっかり自由であったのではない。市場には,社会慣習,文化伝統,政治動向といった外的要因と安定性を求めるという市場の内部要因との混合がつくりだす制度的限定がともなっている。最低賃金法,工場法(労働時間についての制限)などの労働立法および人間集合である企業組織のあり方に対応する雇用慣行,さらには雇用は商品の購入であるよりも人間の生活がかかった人間関係であるということに限定され,かつ支えられて労働市場は機能している。金融市場についていえば,中央銀行(銀行の銀行でもあり,政府の銀行でもある)が金融制度の頂点にたち主権を象徴する法貨の対外的な価値の維持と社会的混乱に結果しないように国内経済を金融面から管理するのであって,これに保護されかつ限定されて金融市場のメカニズムは作動している。財についても同様である。
したがって市場社会における市場は,それが経済体制の要(かなめ)をなしており,他の社会制度を変化させるような強力なインパクトを他に与えるという点では古代・中世の市場と異なっている一方,自由競争が完全な意味で展開されるといった,いわば裸のすがたで市場のメカニズムが作動することのないよう,制度的に保護され限定された売り買いの制度であるという面では従来の市場となんら変わるところはない。
経済学は,市場社会の形成と歩調をあわせるように,独立の学問分野として生まれ発展してきた。これはたんなる偶然ではなく,市場が社会制度のなかで力を増し独立の分野となってくることに対応している。そして経済学の重要な主題の一つはつねに市場であった。経済学は市場社会の現実を説明しようとの理論であるとともに,それ以上に市場社会の形成と隆盛を導き,その拡大・深化に確信を与える思想でもあった。すなわち経済学は基本的には,市場というものを,自由競争がその完全な意味でなされれば,価格の動きに媒介されて使用可能な資源を自動的に最適に(人々の欲求に対して)配分し,経済効率を最高にたかめ,技術的に可能な最大限の生産物を生産していく機構だとみなし,これらのことをさまざまな条件のもとで演繹(えんえき)的に論証しようとしてきた。また自由競争を妨げるような条件を,たとえば政府による価格の統制,管理などをとり除くよう強く主張してもきた。
しかし現実は,完全なかたちで自由競争がなされるにはほど遠い。また競争の結果として自由競争を妨げる条件をみずから新たにつくりだしもする。需要側,供給側,いずれを問わず,独占・寡占体が存在したり,形成されたりする。ノウ・ハウや技術的に大規模な固定設備が参入障壁をつくり自由競争を限定することもある。あるいは,ブランドや包装紙,実用面ではほとんど違いをもたらさない装飾上での特徴づけ,これらを製品差別化とよぶが,これによって自由競争からわずかでもまぬがれて,価格に対して支配力をもつ企業が存在する。さらには労働賃金のように明らかに経験的に価格の下方硬直性をもつ商品が存在する。これら現実の事情を加味したとき価格形成のメカニズムはどのように変化するのか,あるいは自由競争下の価格メカニズムをどの程度歪曲(わいきよく)することになるのかなどが市場理論の系論として論じられている。それらはつぎのようなものである。
独占,寡占,製品差別化,なんらかの参入障壁の存在によって,需要・供給のあり方はどのような変化を被るのか,企業の行動にどのような影響を与えるのか,経済の効率性の面,経済全体の厚生の面からどのような結果をもたらすのか。これらを分析,検討し,産業政策の理論づけをする,独占・寡占理論,不完全競争理論,市場構造論,産業組織論などがある。また,市場のメカニズムが理想的に作用したとしても,あるいはその作用が理想的になればなるほど,市場が関知しない領域で不経済,不効用(自然の生態破壊,公害)を意外にも多く生みだすかもしれないし,分配の不公正をつくりだすかもしれないといった問題を分析しかつ制度的方策を検討する〈市場の失敗〉論,公共経済学。さらには,不確実な将来に対しても人々の予想はおおむね合理的であるとして,市場のメカニズムは時間を含む経済に対しても有効であると強く主張する合理的期待形成論(合理的期待形成仮説)もまた市場メカニズム論の一系論である。
20世紀に入って市場はそれが包み込む範囲をいっそう拡大していった。自動車,ラジオ,テレビ,家庭電化製品,炊事・洗濯の家事労働などが新しく,あるいは大々的に売買されるようになり,日常生活のなかに装飾的・衒示的要素が増大し,情報の創造と伝達・消費も拡大しつづけている。こうしたなかで自由競争自体も自由競争自身の結果として大いに拡大もし変化もしてきた。市場のあり方が変わってきたのである。テレビ,ラジオ,新聞,雑誌,ダイレクト・メールによる情報の大衆への提供,需要の誘発,訪問販売,百貨店,スーパーマーケットなどのように市場は網の目のように日常生活のすみずみにまで浸透した。これら市場の拡大は市場がもっぱら利潤獲得動機によって動かされているからであり,その動機が新しい技術,新しい消費領域を開拓し,市場のフロンティアを拡大しているからであって,いわば市場内発的な拡大なのである。しかもこの市場拡大は,拡大した状態を常態化・日常化してしまい,一度拡大したものを元に戻すことの難しい,いわば不可逆的な拡大にみえる。こうしたことは自由競争の結果であるのだが,同時に自由競争が展開される条件や基準をもどんどん変化させていくことになり,自由競争が資源配分の最適化,効率化を達成していくものだとは必ずしも判定しえなくなる。市場の拡大の方向・内容は結果的につくりだされていくわけで,それがよい向きか悪い向きかを市場は決められないし,それに関心ももたない。むしろ市場の拡大につれて市場をとりまいていた文化が影響を被り,文化が市場的なものに変わり,市場に規定されていくようになる。したがって各人の予期せざる結果としての市場の指向する方向もそのまま是認され受容されていく傾きがある。従来は,市場から独立に形成・維持され伝統・慣習となっていた文化に枠づけされ限定され埋め込まれることによって,市場は自由とともに安定性を享受する制度となっていたが,文化をも深部から規定するようになった市場はその限界を科学技術の発達によってのみ画されており,その科学技術自身がとめどなく開発されていく現代にあっては,どこにもその活動の限界はないようにみえる。そして市場は変化に次ぐ変化をその活動源として,不安定性のなかに社会全体ともども漂うことになる。人々がどこまでこの表層の変化のスピードに折り合っていけるか,文化がますます市場化されていく過程でその傾向が限界に突きあたり反対に反発をくらってその方向を変えざるをえないようにさせる侵すべからざる人倫性,文化の岩盤なるものが存在するのかどうか,これらが市場の将来をうかがうポイントである。現代における市場はこのような意味で文化論として眺めることを迫られている。
→市 →マーケット・メカニズム
執筆者:吉沢 英成
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
経済活動に関連した需要と供給とがぶつかりあって価格が決定され、財貨の取引が実現される場をいう。抽象的に、広義の需要と供給が交錯し、価格が成立し、取引が行われる範囲をさすときには市場(しじょう)といい、具体的に、建物や施設があって、その中で多数あるいは特定の売り手と買い手とが競合しつつ価格と取引を成立させている状態をさすときは市場(いちば)という。これらの呼称は第二次世界大戦後は乱れてきており、ともに市場(しじょう)ということが多い。
狭義・具体的市場は、取り扱う品目により、水産物市場(魚(うお)市場)、青果物市場(青物(あおもの)市場)、生花市場などに、また取引流通段階により、産地市場、卸売市場、小売市場などに分けられる。定義からすれば、証券取引所、商品取引所のような取引所も狭義・具体的市場のなかに含めるべきであるが、普通、市場(いちば)というときには消費財流通に関連したものを主体にし、取引所はこれらと区別して扱われる。狭義・具体的市場のうちもっとも重要な役割を果たしているのは、中央卸売市場(しじょう)である。
[森本三男]
中央卸売市場が法律で定められたのは、1923年(大正12)の中央卸売市場法によってであった。法定化の理由は、当時の農商務省が言明しているように、「物資の流通機関を整備して、都市の食料品供給を円滑にし、取引組織を改善して価格の決定を公正ならしめる」ことである。食料品とくに生鮮食料品は、生活必需品であるが、鮮度や品質が低下しやすく、貯蔵が困難であり、しかも生産が自然条件に依存する度合いが高いため、価格が変動しやすい。このような生鮮食料品の取引を規制せずに放置すると、無益な競争や不当な投機に陥る危険があり、生産者の正当な利益と消費者の安定した消費生活を脅かすことになりかねない。このため、一定の区域(指定区域)には、必要に応じて中央卸売市場を地方公共団体によって開設させ、衛生的かつ能率的な施設の中で、公正で合理的な取引を行わせるよう、法によって規制をしたのであった。このようにして、同法により、まず1927年(昭和2)京都市に最初の中央卸売市場が設けられ、以後、高知、横浜、大阪、東京などの順に開設されていった。
現在、中央卸売市場は地方卸売市場と並んで、1971年施行の卸売市場法によって定められている。同法によれば、中央卸売市場は、地方公共団体が農林水産大臣の認可を受けて、一定の地域(開設地域)を対象にして開設する。それは、野菜、果実、魚類、肉類のような生鮮食料品の円滑な流通を図るための中核的拠点となるが、地方公共団体が開設する点で民営の卸売市場と異なり、法律に基づいて開設される点で他の公設市場と異なる。
中央卸売市場の開設者は地方公共団体(都道府県および政令指定都市が原則)に限られ、私人や営利法人は開設者になりえない。しかし開設者である地方公共団体は、法律や条例に基づいて業務許可、取引の指導監督、市場施設の建設・維持・管理を行うのであり、自らが市場における取引に参加し、その当事者になることはない。開設者は、能率と衛生に配慮した場屋、鉄道引込線、駐車場、岸壁、桟橋、運搬設備、卸売場を設け、適当な規模の貯蔵庫や冷蔵設備を用意し、合理的売買システムを整備する。このような施設とシステムを利用しつつ取引にあたる市場関係者は、卸売業者、仲卸(なかおろし)業者、および売買参加者の三者である。
卸売業者は、市場の集荷機能を担当する荷受問屋(とんや)である。それは、農林水産大臣の許可を受け、許可を受けた取扱品目について、一定の保証金を預託し、生産者や出荷業者から委託された生鮮食料品等を仲卸業者や売買参加者に卸売りする。集荷には大きな信用が要求され、また卸売業者の市場における役割は重要であるので、卸売業者の営業状態や資産内容については、農林水産大臣や開設者による監督が及び、またその数も、市場の実態に応じて制限されている。また、卸売業者の営業についても、種々の制約が課されている。すなわち、(1)原則として生産者や出荷業者からの委託による委託販売のみしか行えず、自己の計算による卸売りはできない、(2)市場の開設区域内では、市場外でも自己の取扱品目に属する物品の卸売りをすることはできない、(3)市場内でも、仲卸業者および売買参加者以外の者に卸売りをしてはならない、(4)出荷業者、仲卸業者、売買参加者に対し、不当な差別的取扱いをしてはならない、(5)一定の委託手数料(売上高の5%程度)以外の報償を受け取ることはできない、などである。
仲卸業者は、卸売業者から卸売りを受けた生鮮食料品等を仕分けし、または調製して販売する業者であり、市場における分散機能、評価機能を担当する中間商人といえる。分散機能とは、卸売業者から大量に買い取った生鮮食料品等を、小売商など買出人の買いやすい形状や量に分割し、市場内にある自己の店舗で買出人に販売することをいう。また、評価機能とは、生産と消費の動向を熟知し、生鮮食料品等の品質や鮮度を判別し、そのうえで適当な見積りをたてて、せり売買に参加することをいう。中央卸売市場では、公正敏速な取引を確保するため、仲卸業者を開設者による許可制にしているが、市場の実態によっては仲卸業者を置かない措置をとることもできる。
売買参加者は、仲卸業者とは別に、卸売業者から直接生鮮食料品等を買い取ることを認められた者、すなわち、せり売買への参加を登録によって認められた者であり、加工業者、地方市場経営者、大口消費者、大手小売商などが多い。
市場での取引のうち、卸売業者と仲卸業者・売買参加者間の取引は、せりによって行われ、せり人(仲卸業者、売買参加者)中の最高価格をつけた者が買い手になる。仲卸業者と買出人(小売商など)との間の取引は、相対(あいたい)取引(売り手と買い手が話し合いで値段を決める方式)であり、普通、仲卸業者のつけた値段を買出人が判断して選択する。生鮮食料品の性質上、一連の取引は毎日の生活に結び付くので、市場の活動は深夜から午前中にかけて展開されることになる。
市場における卸売業者については、1市場で1商品種について1業者とする単数制と、2業者以上とする複数制とがあり、その長短をめぐって創設時から論議が絶えない。単数制は取引方法が合理化され、価格決定が統一されるという長所があるが、その反面、独占によって生産者、出荷業者の利益が害されるという短所をもっている。複数制は自由競争による利点と欠点が伴う。日本では当初は単数制が多かったが、第二次世界大戦後、反独占の気運とともに複数制に移行したものの、同一市場で異なる相場がたつなどの問題から、ふたたび単数制に戻る傾向にある。
[森本三男]
都道府県の条例に従い、都道府県知事の許可を受けた者が開設する卸売市場で、市場のシステムの内容はおおむね中央卸売市場に準じている。ただし、市場関係者の中心になる卸売業者の許可は都道府県知事が行う。
[森本三男]
中央卸売市場を含め市場の態様は国によりさまざまであるが、欧米先進国の諸都市は、比較的古くから完備した市場を発展させてきた。もっとも古いものは、12世紀にルイ6世によって開設されたパリ市場であるとされている。そのほか著名なものとしては、青果、魚、鳥肉などを扱うローマ市場、青物市場としては世界一と称するミラノ市場、設備の完備を誇るハンブルク市場、国際性の強いアムステルダムのアールスメール市場、イギリス全土の需給調節の標準となるロンドン、ボクソールの青果物市場(旧コベント・ガーデン市場)、設備と規模のバランスのよいニューヨークのマンハッタン市場などがある。これら欧米大都市の市場のほとんどは、地方公共団体によって建設、管理されており、民営のものは少ない。このような大規模な市場のほか、広場や道端などで農家が自家産の生鮮食料品や花などを直接消費者に売る露天の市場が多く、しかもそれらのほとんどは公認されていて、重要な流通拠点になっている。
日本の中央卸売市場と欧米の大都市大規模市場とを比較してみると、いくつかの相違点がある。第一に、食生活の関係から欧米の市場では肉類の取扱い比重が大きく、日本の市場では鮮魚類の取扱い比重が大きい。第二に、欧米の市場における取引方法は、相対売買が主であって、日本の市場におけるようなせりによるものは少ない。第三に、欧米では一般に品物の規格化が進んでいるので、見本取引が盛んである。日本ではむしろこれと反対に、卸売業者が市場外にある物品を卸売りすることが禁止されており、現物取引によっている。第四に、欧米の市場における取引は一般に、生産者(出荷業者)→卸売業者→小売商・大口消費者→一般消費者という経路をたどっているが、ここにいう卸売業者は、日本の中央卸売市場における卸売業者と仲卸業者の双方の機能をあわせもっていることである。
1980年代の経済の発展、成長に伴う消費生活の高度化と多様化を基因とした生鮮食料品の流通量の増大、都市化による交通渋滞の激化と必要な空間の確保の困難化、鉄道の比重低下とトラック輸送への転換にみられる交通システムの変化などにより、既存の中央卸売市場の再開発ないし移転が各国の課題となっている。すでに郊外あるいは沿海部埋立地への移転を実施した例もみられる。
[森本三男]
財・サービスが取引されて価格が決定される場あるいは機構をいう。市場という概念は多様に用いられ、その種類も多い。特定の具体的な場所にある中央卸売市場、証券取引所、商品取引所などは具体的市場とよばれる。俗にマーケットとよばれる小売市場や公設市場も含まれるが、この場合は普通、市場(いちば)とよばれる。また経済の未発達な時代に交換あるいは売買の行われた場所をとくに市(いち)という。
しかし、経済が高度化し、通信技術の進歩や信用取引の発達した現代では、むしろ特定の場所に制約されない抽象的市場が多い。国内市場、国際市場、世界市場という場合がその例である。また、取引対象による生産要素市場と生産物市場、グループ別の金融市場・労働市場などもこの範疇(はんちゅう)に属する。現代では、具体的市場は、国内市場や世界市場などの抽象的市場を背景とし、その影響のもとに具体的な取引を進めているのである。
経済学では、市場の本質的な機能は、財・サービスの供給者と需要者との間の需給関係を反映して価格が形成され、その結果、財・サービスの適正な配分が実現される点にあると考える。
完全競争が行われている生産物市場を考えてみよう。財・サービスに対する需要量がその供給量を上回る(超過需要が存在する)状態のときには、そのような市場の状態を反映して価格は上昇する。逆に供給量が需要量を上回る(超過供給が存在する)ときには、価格は下落する。そして需給が一致するまで現実には取引はなされず、価格は変動する。需給が一致した状態(市場均衡の状態)において、初めて価格は決まり、財・サービスが取引される。このように完全競争においては、価格は財・サービスの需給調整機能を完全に果たしている。
[内島敏之]
市場においてこのような需給調整機構がうまく働かない場合を市場の失敗とよぶ。この市場の失敗には、企業の支配力によるケースとそれ以外のケースとがある。第一のケースをみてみよう。現実の市場に目を向けると、自動車、鉄鋼、ビールなどの産業では、少数の企業が市場を支配しており、これらの企業の行動は、市場の価格形成に影響力をもっている。企業が支配力をもっている市場は、その程度に応じて独占、寡占、不完全競争市場とよばれるが、このような市場では、企業の支配力のために、完全競争の場合のように最適な資源配分は達成されず、生産が過少になってしまう。
第二のケースとしては、公共財や外部効果の例があげられる。通常の財である私的財は、消費者がその所有権を手に入れないと消費できない。その所有権を手に入れる場所が市場である。しかし、道路、公園、消防・警察サービスなどの公共財は、その所有権を手に入れなくても消費が可能である。したがって公共財の場合には市場そのものが存在しない。また、外部効果とは、ある消費者や企業が、他の消費者や企業の行動によって、市場での取引を通さないで影響を受けることをいう。この外部効果が存在する場合には、私的便益(費用)が社会的便益(費用)と乖離(かいり)し、効率的な資源配分を達成できない。
このような市場の失敗が生ずる場合には、市場の働きを補整し、社会的に適正な資源配分を実現するために、政府の経済政策による介入が必要となる。
[内島敏之]
『奥野正寛著『ミクロ経済学入門』(日経文庫)』▽『今井賢一他著『価格理論』全三巻(1971・岩波書店)』
徳島県北部、阿波郡(あわぐん)にあった旧町名(市場町(ちょう))。現在は阿波市の中部を占める地域。吉野川左岸に位置する。旧市場町は、1907年(明治40)町制施行。1955年(昭和30)八幡(やわた)町、大俣(おおまた)村を合併。2005年(平成17)吉野、土成(どなり)、阿波の3町と合併、市制施行して阿波市となった。日開谷(ひがいだに)扇状地に位置し、東西に県道が通じる。中心の市場は藩政期には古市とよばれ交通の要地であったが、河川の氾濫(はんらん)による荒廃救済のため、1604年(慶長9)藩主が毎月3日の市を立てたことから市場町として発展した。切幡(きりはた)には四国霊場10番札所の切幡寺があり門前町をなす。スイカ、キュウリを産し、畜産農家も多い。1975年ニシキゴイ流通市場が開設された。金清(かねきよ)自然公園内に金清温泉がある。10月に「やねこじき」の行事がある。
[高木秀樹]
『『市場町史』(1996・市場町)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…交易・売買取引のための会同場所。市場(いちば)ともいう。いろいろな形態の市が,古代から世界のほとんどの社会に認められる。…
…ある品物を安く買ってきて別のところで高く売ることによって,また,なにか品物をつくってそれにもうけをつけて売ることによって,さらには貨幣を人に貸しつけて利息をとることによっても,利潤は獲得される。どのやり方も貨幣を市場に投下して,市場での取引の結果として利潤を得るのである。資本主義の活動は,市場(商品経済)を対象としての活動であり,単なる富の追求活動とは異なる。…
※「市場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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