市川門之助 (いちかわもんのすけ)
歌舞伎俳優。2世以降の屋号滝野屋。俳名は新車。(1)初世(1691-1729・元禄4-享保14) 2世市川団十郎の門下として市川弁次郎と称し,1719年(?)門之助と改名,若衆方として鳴らした。(2)2世(1743-94・寛保3-寛政6) 宝暦初年に滝中鶴蔵の名で大坂の舞台をふみ,59年江戸森田座で秀松と改名。62年4世団十郎の門に入り市川弁蔵を名のり,70年(明和7)中村座で門之助を襲名。安永期の若手四天王の一人とされた人気役者。(3)3世(1794-1824・寛政6-文政7) 初世市川男女蔵の子,初名市川男寅。1815年(文化12)大坂角の芝居で門之助を襲名。23年(文政6)江戸河原崎座で立女方となる。当時若手三幅対の一人としてもてはやされたが,食中毒によって急死した。(4)4世(1804-1862・文化1-文久2) 3世の弟,初名男熊。のち母方の家をつぎ8世中村伝七を称し,文政8年に門之助を襲名。37年(天保8),4世常磐津文字太夫をも相続した。(5)5世(1821-78・文政4-明治11) はじめ瀬川路太郎,岩井粂太郎,松本七蔵。45年(弘化2),7世団十郎の門下となり市川新車を名のる。70年(明治3)門之助を襲名。明治の団十郎・菊五郎らの先輩にあたり,前代の諸優の型を伝えた。(6)6世(1862-1914・文久2-大正3) はじめ坂東秀之助,嵐鱗枝,市川福之丞。85年,鳥熊芝居に迎えられ,春木座で立女方となり,88年,団十郎門下となり2世市川女寅を襲名,女寅閣下と通称された。1910年歌舞伎座で門之助を襲名。型物に定評ある女方であった。(7)7世(1928(昭和3)- )35年市川たか志の名で初舞台,46年3世市川松蔦(しようちよう)をつぎ,62年,門之助を襲名。娘方から年増役までこなす芸域の広い女方として活躍。
執筆者:小池 章太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
市川 門之助(7代目)
イチカワ モンノスケ
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 本名
- 相馬 孝至
- 別名
- 前名=市川 松蔦(3代目),俳名=白魚
- 屋号
- 滝乃屋
- 生年月日
- 昭和3年 9月7日
- 出生地
- 東京都 渋谷区宇田川町
- 学歴
- 日大一商卒
- 経歴
- 昭和10年市川たか志で初舞台。21年3代目市川松蔦を名乗り、市川猿之助(2代目)一座で活躍。38年7代目門之助を襲名。菊五郎劇団に所属。当たり芸は「壺坂」のお里。
- 受賞
- 菊五郎劇団賞〔昭和29年〕,「演劇界」賞,松竹社長賞,イタリア・ボローニヤ市文化功労賞〔昭和58年〕
- 没年月日
- 平成2年 10月13日 (1990年)
- 家族
- 長男=市川 門之助(8代目)
市川 門之助(6代目)
イチカワ モンノスケ
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 本名
- 荒川 清太郎
- 生年月日
- 文久2年 6月10日
- 出生地
- 島根県 東出雲町
- 経歴
- 6歳の時から村芝居に出演し評判を呼び、明治18年9代目市川団十郎に入門。30年、「大森彦七」で千早姫を演じ、出世作となった。43年6代目門之助を襲名。女らしい女形の名優として知られる。
- 没年月日
- 大正3年 8月10日 (1914年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
市川 門之助(7代目)
イチカワ モンノスケ
昭和・平成期の歌舞伎俳優
- 生年
- 昭和3(1928)年9月7日
- 没年
- 平成2(1990)年10月13日
- 出生地
- 東京市渋谷区宇田川町
- 本名
- 相馬 孝至
- 別名
- 前名=市川 松蔦(3代目),俳名=白魚
- 屋号
- 滝乃屋
- 学歴〔年〕
- 日大一商卒
- 主な受賞名〔年〕
- 菊五郎劇団賞〔昭和29年〕,「演劇界」賞,松竹社長賞,イタリア・ボローニヤ市文化功労賞〔昭和58年〕
- 経歴
- 昭和10年市川たか志で初舞台。21年3代目市川松蔦を名乗り、市川猿之助(2代目)一座で活躍。38年7代目門之助を襲名。菊五郎劇団に所属。当たり芸は「壺坂」のお里。
市川 門之助(6代目)
イチカワ モンノスケ
明治・大正期の歌舞伎俳優
- 生年
- 文久2年6月10日(1862年)
- 没年
- 大正3(1914)年8月10日
- 出生地
- 島根県東出雲町
- 本名
- 荒川 清太郎
- 経歴
- 6歳の時から村芝居に出演し評判を呼び、明治18年9代目市川団十郎に入門。30年、「大森彦七」で千早姫を演じ、出世作となった。43年6代目門之助を襲名。女らしい女方の名優として知られる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
市川門之助(2代)
没年:寛政6.10.19(1794.11.11)
生年:寛保3(1743)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名新車,屋号滝野屋。都八重太夫の子。江戸生まれ。上方で修業を積んだのち江戸へ戻る。宝暦12(1762)年2代目市川団十郎の門人で若衆形の随一とされた初代門之助の家に養子に入って市川弁蔵と名乗り,明和7(1770)年に2代目を襲名した。元服して若衆形から立役に転じるのは安永6(1777)年。所作事をよくし,安永期には2代目市川八百蔵,3代目沢村宗十郎,初代尾上松助と共に,若手四天王と称された人気役者だった。門之助の名は現代の8代目まで続いている。3代目以降はもっぱら若女形で,4代目は4代目常磐津文字太夫として知られる。<参考文献>「新刻役者綱目」(『日本庶民文化史料集成』6巻)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
市川門之助(5代) いちかわ-もんのすけ
1821-1878 江戸後期-明治時代の歌舞伎役者。
文政4年生まれ。江戸の料理屋の子。京都,大坂で修業。5代瀬川菊之丞,5代岩井半四郎,6代松本幸四郎,ついで7代市川団十郎に入門。明治3年5代門之助を襲名。女方の名優で,先人の型を後進につたえた。明治11年5月12日死去。58歳。初名は瀬川路太郎。前名は岩井粂太郎(くめたろう),松本七蔵,市川新車。俳名は楓車,新車。屋号は滝野屋。
市川門之助(3代) いちかわ-もんのすけ
1794-1824 江戸時代後期の歌舞伎役者。
寛政6年生まれ。初代市川男女蔵(おめぞう)の長男。4代門之助(4代常磐津文字太夫(ときわず-もじたゆう))の兄。享和元年江戸で初舞台。文化12年大坂へゆき,7代市川団十郎に入門。同年3代を襲名。のち江戸にもどり,立女方(たておやま)として活躍。文政7年7月27日死去。31歳。初名は市川男寅。前名は市川伝蔵。俳名は新車。屋号は滝野屋。
市川門之助(2代) いちかわ-もんのすけ
1743-1794 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
寛保(かんぽう)3年生まれ。都八重太夫の子。大坂で修業。宝暦12年江戸で初代門之助家の養子となり,4代市川団十郎に入門。明和7年2代門之助を襲名。若衆方から立役(たちやく)に転じ,安永のころ若手四天王のひとりといわれた。寛政6年10月19日死去。52歳。江戸出身。初名は滝中鶴蔵。前名は市川弁蔵。俳名は新車。屋号は滝野屋。
市川門之助(6代) いちかわ-もんのすけ
1862-1914 明治時代の歌舞伎役者。
文久2年6月10日生まれ。地方芝居をへて,明治12年大阪の初代市川右団次に,18年東京の9代市川団十郎に入門。43年6代門之助を襲名。女方で古歌舞伎の型物を得意とした。大正3年8月20日死去。53歳。出雲(いずも)(島根県)出身。本名は荒川清太郎。初名は坂東秀之助。前名は市川女寅(2代)。俳名は新車。屋号は滝野屋。
市川門之助(7代) いちかわ-もんのすけ
1928-1990 昭和-平成時代の歌舞伎役者。
昭和3年9月7日生まれ。昭和10年2代市川松蔦(しょうちょう)の名前養子となり,初舞台。21年3代松蔦,38年7代門之助を襲名。女方,二枚目として市川猿之助(2・3代)一座で活躍した。平成2年10月13日死去。62歳。東京出身。日大一商卒。本名は相馬孝至(たかよし)。屋号は滝野屋。
市川門之助(初代) いちかわ-もんのすけ
1691-1729 江戸時代中期の歌舞伎役者。
元禄(げんろく)4年生まれ。2代市川団十郎の門人。市川長之助,市川弁次郎をへて門之助を名のる。江戸森田座,中村座に出演,若衆方として名を知られた。享保(きょうほう)14年1月25日死去。39歳。俳名は新車。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
市川 門之助(6代目) (いちかわ もんのすけ)
生年月日:1862年6月10日
明治時代;大正時代の歌舞伎役者
1914年没
市川 門之助(7代目) (いちかわ もんのすけ)
生年月日:1928年9月7日
昭和時代;平成時代の歌舞伎役者
1990年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報