広い意味では,都市の構成員を指す。ただ,都市は時代によって存在のしかたを異にするため,市民の具体的意味も時代によって異なる。古代ギリシアにおいては,市民は文字どおり都市国家の構成員を意味した。そこでは,市民は今日の国民とほぼ同義である。ヨーロッパの中世においては,市民は城塞の中に住む人たちを意味した。市民がブルジョアbourgeoisとも呼ばれるのは,bourg(城)の中に住む人たちであるからにほかならない。農村が封建領主の支配下におかれていたのに対して,中世の諸都市は,領主,司教,国王などの対立関係を巧みに利用しながら,貨幣鋳造権,徴税権,裁判権などの自治権を獲得し,さらに独自の軍隊をもって外敵の侵入に備えた。こうした自治都市の運営は,市民の手によって自主的・自律的に行われた。近代国家の形成は,中央集権化を進めることによって,自治都市の諸特権を奪い,その自律性を失わせたが,近代国家自体は都市を範型として構成されたため,自律的市民の理念は,近代国家の理念として再生した。その再生を担ったのは,製造業者やそれと結びついた商人を中心とするブルジョアジーである。彼らは〈財産と教養〉をもつ人々であり,それゆえに自己利益の実現について合理的選択を行うことができた。こうした選択における合理性が貫かれれば,社会の秩序は成立しやすい。それゆえ,強力な政府は不必要であり,むしろそれはブルジョアジーの富の追求を阻む危険をもつことになる。こうして,ブルジョアジーとしての市民は,小さな政府こそ最良の政府であるとして,自由放任主義を主張した。こうした市民によって構成される社会が市民社会にほかならない。
市民社会の前提は,政治的には政治参加の範囲を自律的市民に限定することであった。したがって普通選挙制の確立とそれに伴う大衆の政治社会への登場は,当然に市民社会を衰退させる。自由放任主義に基づく夜警国家は,大衆民主主義に基づく福祉国家に転換し,市民社会は大衆社会へと転換する。そこには,もはや実体としての市民は見いだしがたい。ただ,それにもかかわらず,民主政治が自律的個人の自主的政治行動を前提とせざるをえない以上,現代の大衆民主主義においても,理念としての市民は強調されざるをえない。その場合,大衆が指導者の操作や社会の大勢に同調しやすい傾向をもつとされるのに対して,市民は個人の自由な判断に基づいた自主的な行動を尊重するとされる。こうした理念としての市民は,かつての社会的・経済的文脈とはまったく無関係であり,その政治的行動様式のみが強調されていることはいうまでもない。ただ欧米諸国の場合,歴史的に市民の理念を継承し発展させたのがブルジョアジーであったのに対して,日本ではブルジョアジーが早発的に国家権力の後見的保護を受け,市民的理念を担うことがほとんどなかったため,理念としての市民も今日の社会に確実に定着するにはいたっていない。
→市民社会
執筆者:阿部 斉
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ヨーロッパ古典古代の都市国家と中世都市との諸特権を享受する者、および近代国家における主権に参与する者。しかし近代以前において市民を成立させるような都市たるためには、都市が自分自身の裁判所をもち、かつ少なくとも部分的に自分自身の法をもち、少なくとも部分的な自律性をもった性格をもち、市民自身がなんらかの仕方でその任命に参与するような官庁による行政をもっていることが必要であった。これらの権利は、過去には一般に身分制的特権という形をとり、これらの権利の担い手としての特別の市民身分が、政治的意味でのヨーロッパの都市の特徴をなした。
近代以前の都市においては、門閥に対抗する非貴族的市民の民主的運動が、門閥支配の排除を生み、市民団体の形成を促した。しかし官職就任資格や元老院議員資格や投票権の同格を意味せず、人格的に自由で定住権をもつ全家族が市民団体に受け入れられたわけでもない。ローマは別として、市民団体には被解放者は所属できず、また市民の同格性も、投票権や官職就任資格に、地代額と軍事能力、ついで財産額に応じて段階づけがなされることによって破られていた。古代市民と中世市民との相違は、前者が政治人であったのに対し、後者が経済人への道を歩んだ点にある。
フランス革命の際、1789年8月26日「人間と市民の権利の宣言」(いわゆる「人権宣言」)が決議され、その第6条で法の前での平等な市民という原則がうたわれたが、1791年のフランス憲法は、少なくとも3日分の賃金に等しい租税を払う能動市民と、この条件を満たさない受動市民とを区別し、後者は選挙権を奪われた。この資格制限選挙制度が最終的に廃止されたのは1848年のことである。市民は、単に都市の住民を意味するブルジョアと異なり、主権に参加する者として市民なのである。
[古賀英三郎]
『M・ウェーバー著、世良晃志郎訳『都市の類型学』(1964・創文社)』
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…都市法の規定では,その前身のいかんを問わず,都市に在住して満1ヵ年を経過すれば自由となれるという,いわゆる市風自由Stadtluft macht freiの原則がうたわれていた。
[市民身分と市民意識]
中世都市がこのような自治を確立し,〈市民(ビュルガーBürger,シティズンcitizen)〉というまったく新しい社会階層を構成メンバーとする共同体となる経緯は,地域により時代によってまちまちであるが,その最初のきっかけをなしたのは,司教,大司教を都市領主とするライン川沿岸ならびに北イタリアのロンバルディア諸都市における反封建的または反領主的な暴動であり,その運動のイニシアティブをとったのは,アルプス以北にあってはもっぱら遠隔地商人の団体であった。遠隔地商人は前述のようにすでに10世紀の後半から各地に現れて組織的な活動を始め,封建領主の保護下に,ブルクや教会の近傍にある地の利を得たところにウィクWikと呼ばれる特殊な定住区をつくり出していた。…
…日本の歴史学や社会科学において,通常,civil society,bürgerliche Gesellschaft(ドイツ語),société civile,société bourgeoise(ともにフランス語)などの訳語として使われている用語。〈市民階級〉〈市民革命〉〈市民法〉〈市民的自由〉などとともに,近代のヨーロッパ社会の特質を認識し指示するために考案され,第2次大戦後,とくに有力になった概念の一つである。しかし,〈市民社会〉の〈市民的〉性格を何に見いだすかによってその意味内容は多様であり,また,この言葉が,歴史の特定の段階を指示する実体概念なのか,あるいは分析用具として構成された理念型にすぎないのかについても,論者の間で必ずしも統一的な理解はみられない。…
…近代法では市民法bürgerliches Recht(ドイツ語),droit de bourgeoisie(フランス語)の語は市民の社会関係を規律し,市民社会の内部秩序を保持するための法を意味する。この場合,市民とは具体的生活を営む人間ではなく抽象的に考えられた法的人格としてとらえられている。…
…英語のtownとcityは日本では行政上の町と市,および集落単位の町や都市の訳語にも用いられるが,イギリスではtownとcityはほぼ類似の意味で用いられ,とくにtownが小型の集落だけを意味していない。アメリカ合衆国ではtownは行政上の群区の単位としてほぼ小型の都市的集落を意味するが,cityは大型の都市的集落を指すとともに市民や市会の意味をもっている。ドイツ語のStadtとフランス語のvilleは,町を含めた都市的集落をいうと同時に,市民や市会もいう場合がある。…
…広く解釈すれば,〈法の前の平等〉原則に立つ近代市民社会より以前の諸社会は,すべて身分制社会である。しかし,ふつうには,ヨーロッパ史上,ほぼ12~13世紀から18世紀末ごろまでの社会について,この呼称が用いられる。…
※「市民」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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