常滑村(読み)とこなめむら

日本歴史地名大系 「常滑村」の解説

常滑村
とこなめむら

[現在地名]常滑市奥条おくじよう市場いちば町・保示ほうじ町・山方やまかた町・奥栄おくえい町・白山はくさん町・大曾おおそ

尾張国地名考」は「常なめりの下略也。一に常鍋とも書有」と記す。瀬木せぎ村の南にある。平安後期から室町期に及ぶ古窯跡群として土取畑つちとりばた青池あおいけ・大曾の三ヵ所があり、そこから出土する焼物は、常滑焼の原初的存在として知られる。常滑は、藤原氏の荘園として成立し、教通から仁和にんな(現京都市)に寄進された堤田つつみた庄のうちにあり、名古屋の真言宗天王てんのう坊旧蔵の大般若経巻七〇奥書には「尾張国智多郡堤田ノ庄常滑ノ郷」とある。現常滑市と現半田市境界の古窯跡から出土する古瓦は仁和寺からも多量に出土する。

織田信雄が尾張・伊勢を支配したとき、重臣中川勘右衛門二〇〇貫文、高木九助五〇〇貫文の給知がこの郷にあった(織田信雄分限帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報