デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平井毓太郎」の解説
平井毓太郎 ひらい-いくたろう
慶応元年10月11日生まれ。ドイツ留学後,明治35年京都帝大教授。授乳中の乳幼児にみられた脳膜炎様病症の原因が母親の使用する含鉛白粉(がんえんおしろい)による鉛中毒であることを発見した。昭和7年学士院賞。昭和20年1月12日死去。81歳。三重県出身。帝国大学卒。旧姓は木場。
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
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