幸盛寺(読み)こうせいじ

日本歴史地名大系 「幸盛寺」の解説

幸盛寺
こうせいじ

[現在地名]鹿野町鹿野

鹿野のしも町にあり、鹿野山精林院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。寺伝によると、宝徳年間(一四四九―五二)慧鏡房凝阿を開基として鹿野の北方山中に創建され、明照山持西寺と号して時宗の道場であったという。その後数十年間の乱世に寺は荒廃し、文禄元年(一五九二)鹿野城主亀井茲矩が誠蓮社証誉を中興開山として鹿野城下の町中に移転し再興、現寺名に改めたという(勝見名跡誌)。茲矩の舅で尼子氏家臣山中幸盛の菩提を弔うためで(鹿野小誌)、寺名もこのことによる。なおこのとき京都知恩院の末寺となった(「鳥取県史」など)。境内本堂左手に幸盛の墓と伝える無縫塔がある。幸盛は天正六年(一五七八)備中国阿井あいの渡(現岡山県高梁市)で殺害されたが、その後茲矩が遺髪を得て当地に葬ったとされる(鳥取県史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android