幸谷村(読み)こうやむら

日本歴史地名大系 「幸谷村」の解説

幸谷村
こうやむら

[現在地名]松戸市幸谷・小金清志町こがねきよしちよう一―三丁目・新松戸しんまつど一―四丁目・同六丁目

大谷口おおやぐち新田の東、下総台地西端部に位置する。「本土寺過去帳」三日の暁常には天正一〇年(一五八二)一〇月の年紀があり、「コウヤ」とみえる。慶安年間(一六四八―五二)頃の成立といわれる高城胤忠旧知行高付帳には「幸屋村高四百弐拾九石」とある。元禄一二年(一六九九)の小金領野馬法度請書では旗本春日領高七四石余・同古田領高二〇二石・同曲淵領高一六八石の三給。この旗本三氏相給で幕末に至る(旧高旧領取調帳)


幸谷村
こうやむら

[現在地名]河内村幸谷

新利根川左岸の平坦地にあり、西は生板まないた村。牛久うしく用水(江川)が付近を貫流する。「新編常陸国誌」に「生板村ノ東ニ在リテ、旧其属地ナリシガ、正保以後分レテ一村トナリ、東、中、西、浄玄、前野原等ノ小名ヲ有ス」とあり、元禄郷帳の村高は二四九石余。近世旗本領(稲敷郡是)で、幕末は石野・小栗両氏の相給地であった(各村旧高簿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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