弥勒堂跡(読み)みろくどうあと

日本歴史地名大系 「弥勒堂跡」の解説

弥勒堂跡
みろくどうあと

[現在地名]高野町高野山

安養あんによう院の東、小田原おだわら谷の支谷浄土院じようどいん谷の西側にあったが、現存しない。五間四面の堂で、本尊弥勒菩薩。文明五年(一四七三)の諸院家帳は、もと浄土院で、小田原聖教懐の建立としている。院号は、高野聖の祖とされる教懐の法器として、浄土の青蓮華一枚が残されていたことにちなむとも(高野伽藍院跡考)、教懐による浄土来迎の奇瑞に基づくともいう(続風土記)

弥勒堂跡
みろくどうあと

[現在地名]奈良市油阪地方町

油阪地方あぶらさかじかた町の西端、三条通の北側にあったが、廃絶。江戸時代には町名も弥勒堂町といった。「大乗院寺社雑事記」文明一五年(一四八三)二月一七日条に「今日於三条弥勒堂辺足軽合戦在之」とえる。堂内には箸尾はしお(現奈良県広陵町)から移したと伝える弥勒石仏と、釈迦涅槃石・春日明神影向石が安置されていたが(奈良坊目拙解)、近年の開発により奈良市三条町会所に移された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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