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後円融天皇【ごえんゆうてんのう】
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朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
延文3/正平13.12.12 (1359.1.11)
没年: 明徳4.4.26 (1393.6.6)
南北朝時代の天皇(在位1371~82)。北朝第5代天皇。後光厳天皇の第2皇子。母は石清水祠官善法寺通清の娘藤原仲子(崇賢門院)。応安4/建徳2(1371)年3月親王宣下。諱は緒仁。観応の擾乱(1350~52)で南朝に拉致され大和賀名生に幽閉された崇光天皇は,延文2/正平12(1357)年帰京後,いったん皇統を断念したが諦め切れず,息栄仁を皇位につけようとして後光厳と争い,結局管領細川頼之の強い介入で後光厳の意思が尊重され緒仁が践祚することになった。在位11年にして永徳2/弘和2(1382)年4月,後小松に譲位した。このときも健在であった崇光は室町幕府に栄仁の践祚を働きかけたが,将軍足利義満の峻拒にあって後小松践祚,後円融の院政が実現した。しかし親政を開始した義満の政治力の前に後円融院政は苦境に立たされ,王朝が掌握していた裁判権や京都の施政権も次々と幕府に奪われた。院政の初年には即位礼の実施を巡って義満と争ったが,義満は摂政二条良基と結んで上皇の要求を拒否した。また上皇は義満との密通を疑って女御厳子(通陽門院)に刃傷を振るい,女官按察局を宮中から追放,これに対し義満が上皇の遠島を企てているとの噂が立ち,上皇は宮中持仏堂にこもって自殺しようとして止められるという事件を起こした。この騒動は母仲子の収拾により鎮静化し,以後上皇は義満に従順となった。義満と同年で従兄弟同士に当たり,激しい権力闘争を演じたが結局義満の政治力の前に屈服した。何らかの権力を有した院政期最後の上皇,すなわち皇家最後の王権保持者として重要。<参考文献>今谷明『室町の王権』
(今谷明)
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
後円融天皇 ごえんゆうてんのう
 
1359*-1393 南北朝時代,北朝第5代天皇。在位1371-82。
延文3=正平(しょうへい)13年12月12日生まれ。後光厳(ごこうごん)天皇の第2皇子。母は藤原仲子(崇賢門院)。父のあと即位。在位11年で6歳の皇子幹仁(もとひと)(後小松天皇)に譲位し,院政をおこなった。3代将軍足利義満の時代で,室町幕府の体制も安定し,明徳3年南北朝の合一がなった。能書家としても知られる。明徳4年4月26日死去。36歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は緒仁(おひと)。法名は光浄。歌集に「後円融院御百首」,日記に「後円融院御記」。
【格言など】しぐれゆく外山(とやま)の雲に鳴く鹿の思ひや晴れぬ秋の夕ぐれ(「新続古今和歌集」)
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版の解説-
ごえんゆうてんのう【後円融天皇】
1358‐93(正平13∥延文3‐明徳4)
北朝第5代の天皇。在位1371‐82年。名は緒仁。在位期間は足利義満の将軍在職の前半で,幕府隆盛期と重なる。皇室および公家文化の伝統を守ることに努力し,御子左為遠らに命じて《新後拾遺和歌集》を撰進させたりした。後小松天皇に譲位後も院政をしいた。陵所は京都市伏見区深草坊町にある(深草北陵)。【飯倉 晴武】
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デジタル大辞泉の解説-
ごえんゆう‐てんのう 〔ゴヱンユウテンワウ〕 【後円融天皇】
[1358~1393]北朝第5代天皇。在位、1371~1382。後光厳天皇の第2皇子。名は緒仁(おひと)。法名、光浄。室町幕府第3代将軍足利義満に擁立されて即位。譲位後、院政を行った。和歌に長じ、新後拾遺集を勅撰。
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百科事典マイペディアの解説-
在位1371年-1382年。名は緒仁(おひと)。父は後光厳(ごこうごん)天皇,母は崇賢門(すうけんもん)院紀仲子(きのちゅうし)。伏見宮栄仁(よしひと)と皇位を争ったが,幕府の支持で即位した。
(1358-1393)
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大辞林 第三版の解説-
ごえんゆうてんのう【後円融天皇】
(1358~1393) 北朝第五代天皇(在位1371~1382)。名は緒仁(おひと)。後光厳天皇の第二皇子。「新後拾遺和歌集」を撰進させた。後小松天皇に譲位後は院政を行なった。
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