後国府跡(読み)ちくごこくふあと

日本歴史地名大系 「後国府跡」の解説

後国府跡
ちくごこくふあと

[現在地名]久留米市合川町・朝妻町・御井町

古代、筑後国に置かれた国府の跡。行政区画では西海道に属し、大宰府の管轄下にあった。「筑後国風土記」逸文(釈日本紀)に「筑後の国は、本、筑前の国と合せて、一つの国たりき」とあるが、一つの国とは筑紫国であろう。筑後国は七世紀末頃に分置・成立したとみられ、「和名抄」はその治所の国府所在地を御井郡とする。この所在地について江戸時代中期以降高良こうら山西麓の府中ふちゆうに比定する説が一般的であったが、幕末の久留米藩士矢野一貞は地名考証や古瓦散布地の現地踏査などから、現久留米市合川あいかわ枝光えだみつ一帯に比定した(「筑後国郡志」新有馬文庫)。昭和三六年(一九六一)阿弥陀あみだ地区で全国初の国衙跡の考古学的調査が九州大学によって実施され、国衙政庁の南限の築地や建物跡、石敷遺構などが確認され、矢野の枝光説が正しかったことが証明された。現在まで継続される久留米市教育委員会による三〇年以上の発掘調査の結果、筑後国府の母体となる前身官衙の存在や、国の成立後律令体制の整備・変容・衰退を物語るかのように御井郡内を三遷する国庁の姿が明らかになった。

前身官衙は七世紀後半代、白村江での敗戦後、大宰府防衛網の一環として大宰府の背後にあたる有明海方面からの唐・新羅連合軍の侵攻を防ぐ目的で、筑後川を臨む枝光の低位台地に軍事的色彩の濃い官衙が設置された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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