デジタル大辞泉 「築地」の意味・読み・例文・類語
ついじ〔ついぢ〕【▽築地】
1 柱を立て、板を芯として両側を土で塗り固め、屋根を瓦で
2 《屋敷の周囲に築地をめぐらしたところから》公卿。堂上方。また、その邸宅。
[類語](1)垣・柵・塀・垣根・フェンス・生け垣・忍び返し・
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
隅田川河口部の西岸一帯をさす。明暦三年(一六五七)の大火直後の万治元年(一六五八)、市中の瓦礫や残土を利用して
幕末開港を経て東京開市の現実により、明治元年(一八六八)に築地は諸外国に開放されて外国人居留地が建設され、築地と港町横浜との関係が強まる。すなわち横浜港へ輸入された「舶来品」は小船に積替えられ、
築地の名を冠する町には、明治一九年(一八八六)の「地方行政区画便覧」によれば、築地
築地は埋立地の意である。「国典類抄」の「御本城并枝城」には「築地数丁は長野下より継、郭外也。延宝元丑年屋敷割、同寅年四月移る」とあるが、梅津忠宴の「忠宴日記」延宝元年(一六七三)三月二三日条と併せ考えると、延宝元年前後に、長野下に引き続き、築地が造成された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
築泥(ついひじ)からの転で,字のごとく本来は練り土を積み上げて造った塀。現在知られている最も本格的なものは,1尺(約30cm)ほどの石垣積みの基礎上の両側に6~10尺ごとに須柱(すばしら)と呼ばれる柱を立て,その外面に幕板という仮枠をあててその中に練り土を入れ,棒で突き固める〈版築(はんちく)〉という手法による。柱上に簡単な小屋を組み瓦葺きとする。《延喜式》によれば,最上のものは高さ1丈3尺(約4m),最下部の厚さ6尺(1.8m),最上部の厚さ4尺(1.2m)におよぶ。こうした本格的なものは寺院や官衙などに用いられ,平安貴族の住宅では須柱がなく,屋根も板葺きの上に土をのせる程度の簡素化されたものが一般的だった。築地は格式を表現するものでもあり,1030年(長元3)には六位以下の者の住宅に築地をめぐらすことが禁じられている。また後世には御所や格式の高い寺院では壁面に定規筋(じようぎすじ)と呼ぶ白色の横筋を入れる〈筋塀(すじべい)〉が使われた。筋の数は格式によって異なり,最高は5本であった。また,城門の前に築かれた堤を築地と呼び,石垣を築地という地方もある。
執筆者:清水 拡 築地は古代以来,宮都,城柵,国郡衙,寺院等の境域を区画するために設けられた。大規模なものは大垣とよばれ,平城京の南面大垣は高さ約12mにも達し,陸奥の多賀城の南辺では幅15~17m,高さ2mの基礎盛土の上に基底幅2.7mの築地が築かれた。これらは崩れた跡が土塁と識別できないので,実体は官衙であった古代の城柵が,永らく土塁をめぐらした軍事施設とだけみなされてきた原因となった。基礎盛土の大規模なものは土塁とみなすことも可能であるが,概念的には築造の中心が塀の部分であることに留意して築地と土塁を区別することができる。
→垣 →土居
執筆者:村田 修三
東京都中央区南部の地名。隅田川右岸に接し,西は首都高速道路1号線に限られる。行政上は築地,明石(あかし)町,湊,入船,新富(しんとみ)の各地区からなる。明暦の大火(1657)後,江戸市中の焼土を利用して埋立地として造成されたもので,名称もそこに由来する。浄土真宗本願寺派別院(築地本願寺)が日本橋浜町から移転し,これを中心に江戸時代は備中岡山藩中屋敷や浜御殿(現,浜離宮公園)などの武家地が大半を占めていた。幕末期に軍艦操練所,明治維新後も海軍操練所,海軍大学校がおかれるなど,帝国海軍発祥の地となった。1858年(安政5)福沢諭吉が鉄砲洲に私塾を開き,慶応義塾大学の前身をなしたことでも知られる。1868年(明治1)には外国人居留地(築地居留地)が設けられ,外国人用旅館兼貿易所であった築地ホテル館をはじめ洋風建築が建てられた。現存する海上保安庁や聖路加病院は当時のなごりである。居留地内には教会や立教大学の前身である聖パウロ学校も開設され,東京におけるキリスト教伝道活動の根拠地ともなった。居留地付近には新島原遊廓が設けられ,また東京で初めての製靴工場や活版印刷所がおかれるなど,一時はかなりのにぎわいを見せたが,99年居留地の廃止とともに活気を失っていった。関東大震災後,日本橋河畔から移転した魚市場が東京中央卸売市場となって広域を占め,〈築地〉はこの市場の代名詞ともなっている(卸売市場)。この市場周辺には国立がんセンター,朝日新聞東京本社などがある。築地は1924年に築地小劇場が開場したことでも知られるが,現在は東劇,松竹会館(跡地は現在のADK松竹スクエア)があり,近くの歌舞伎座,新橋演舞場とともに映画・演劇の一中心をなしている。
執筆者:正井 泰夫+吉原 健一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
築地塀・築垣(ついがき)とも。粘土を築いてつくった塀で,上に屋根を葺(ふ)いたもの。古代の宮殿や寺院では,版築(はんちく)技法で粘土を下から突き固めて瓦葺(かわらぶき)にしたが,住宅では木の板を芯(しん)にしてその表面に粘土を塗り重ね,屋根も板葺が一般的。近世に瓦が大量に供給されると,住宅の築地も瓦葺になった。表面に漆喰(しっくい)を塗るようになるのも後のことで,中世までの住宅では門の両脇だけ漆喰を塗り,これを脇壁とよんだ。現存最古のものに,法隆寺西院大垣・同子院築垣がある。通常,壁面に堰板(せきいた)の木目が縞状に現れ,須柱(すばしら)(寄柱)を添えた例も多い。なお,御所や門跡寺院では築地表面に横筋をいれた筋塀を用いるが,その由緒は不明。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…建物や敷地などの周囲を囲むように作られた工作物や植栽で,材料,形式によって多くの種類がある。塀もほぼ同じ意味で使われ,築地(ついじ)は築地塀あるいは築垣(ついがき)とも呼ばれた。一般に,板塀や土塀のように表面が連続して平滑な面をなすものを塀,間隙の多いものを垣と呼ぶ傾向がある。…
…後者の代表的な遺例としては日光東照宮のものがよく知られている。土塀としては粘土を築き上げた築地(ついじ)塀,瓦と粘土を交互に積み重ねて築いた練(ねり)塀があり,いずれも瓦葺きの屋根を設ける。築地塀は単に築地あるいは築垣(ついがき)ともいい,築泥(ついひじ)から変化したものという。…
※「築地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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