後藤光乗(読み)ごとうこうじょう

精選版 日本国語大辞典 「後藤光乗」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐こうじょう【後藤光乗】

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朝日日本歴史人物事典 「後藤光乗」の解説

後藤光乗

没年:元和6(1620)
生年享禄2(1529)
室町安土桃山時代の彫金家。後藤家3代目乗真の嫡男。京都生まれ。幼名は小一郎,のちに亀市,四郎兵衛と称した。父乗真が永禄5(1562)年に戦死したのち,母(あるいは妻とも)の郷里の縁で豊後国丹羽村(大分県)に移り住んだ。元亀2(1571)年京都に戻り織田信長仕え,出家し光乗を名乗った。天正9(1581)年には信長より,翌10年には秀吉より大判および分銅の役を命ぜられた。元和3(1617)年には宮中後水尾天皇に彫技を披露し法眼に叙位された。京都の具足山妙覚寺に葬られた。

(加島勝)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤光乗」の解説

後藤光乗 ごとう-こうじょう

1529-1620 戦国-江戸時代前期の装剣金工。
享禄(きょうろく)2年生まれ。後藤乗真長男。後藤宗家4代。父の死後豊後(ぶんご)(大分県)にうつるが,京都にもどり織田信長につかえる。天正(てんしょう)9年信長に,10年豊臣秀吉に大判と分銅(ふんどう)製作の役を命じられた。法眼(ほうげん)。元和(げんな)6年3月14日死去。92歳。名は光家。通称は四郎兵衛。

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