室町中期から江戸初期にかけて、京都五山の禅僧や博士(はかせ)家の学者などが漢籍や仏典や一部の国書を注解・講義した際に、これを受講した者が筆記した聞書(ききがき)。さらに講者の講義用草案や講義口調で書いた注釈をもこれに含める。『論語抄』『史記抄』『三略抄』『杜詩(とし)抄』『碧巌(へきがん)録抄』『貞永(じょうえい)式目抄』などのように、講義の対象となった原典名に「抄」を付した書名をもつものが多いため、「往来物」などと同じ仕方でこうよばれる。今日膨大な量の抄物が全国各地の寺院や図書館などに伝存するが、代表的な抄物としては、牧中梵祐(ぼくちゅうぼんゆう)講、桃源瑞仙(とうげんずいせん)(1430―89)聞書・抄『史記抄』、惟高妙安(いこうみょうあん)(1480―1567)抄『玉塵(ぎょくじん)』、清原宣賢(きよはらのぶかた)(1475―1550)講、林宗二(りんそうじ)(1498―1581)聞書『毛詩環翠口義(もうしかんすいこうぎ)』などをあげることができる。その本文は、原典の語句を抽出して、それについて片仮名交りゾ体(ナリ体のものもある)の文体で注釈するものが多い。桃源『史記抄』の周本紀の部分から例示する。
長子――文身断髪ハ、荊蛮(ケイバン)ノ俗一生水ニツカリテヲルホドニ、身ニ画ヲカイタリ、イレハウクロ(入黒子)ヲシタリ、髪ヲ断テ、ヲソロシサウニシタリナンドスルゾ。蛟竜(カウリユウ)ガクラウホドニカウシテヲドスゾ。中岩ノ日本紀ヲ撰(セン)セラレタニ、国常立尊(クニトコタチノミコト)ト云ハ呉太伯ノ后裔(コウエイ)ヂヤナンドヽ云ハ、不合事ゾ。中岩ホドノ人ヂヤガウツクシウモ不合事ヲヲセ(仰)ラレタゾ。
当時の口頭語を反映するため、キリシタン資料、狂言台本とともに、室町時代日本語の研究資料として価値が高い。曹洞(そうとう)僧によって作成された抄物は、東国方言の研究資料となる。また、抄物の注釈は、原典の単なる注釈にとどまらず、百科全書的知識を与えようとしていることが多く、種々の面から注目される。中国哲学・文学はいうまでもなく、国文学、国史学の立場からも注目、利用されている。
[柳田征司]
『湯沢幸吉郎著『室町時代の言語研究』(1929・大岡山書店)』▽『中田祝夫編『抄物大系』(1970~75・勉誠社)』▽『岡見正雄・大塚光信編『抄物資料集成』(1971~76・清文堂出版)』
室町時代から江戸時代にわたって,漢籍,仏典や一部の国書などを五山禅僧や学者らが講義し注釈したものの筆記をいう。その草案の手控も含まれる。〈抄〉とはもともと〈抜書き〉をさすが,〈抄物〉の場合は原典の語句を取り出して講説を行うことを意味する。講義者や受講者の自筆本,転写本,それらをもとにした慶長(1596-1615)以降の版本が多く残され,漢籍で100種以上,仏典で50種以上に及ぶ。日本における漢籍注釈史などの資料としてだけでなく,口述を片仮名と漢字を交えて書いたもの(仮名抄)が多く,国語史の資料としても貴重である。桃源瑞仙《史記抄》,笑雲清三《四河入海》(蘇軾(そしよく)の詩の注解),《古文真宝抄》(三体詩の注解)をはじめ,《臨済録抄》《毛詩抄》《論語抄》などのほか,《日本書紀》〈御成敗式目〉のような国書を注解したものもある。これらの抄物は室町中期から末期にかけて最も盛んに作られ,作者としては前記のほか吉田兼俱,清原宣賢(のぶかた),惟高妙安らがおり,学僧だけでなく博士家や公卿たちも含まれる。江戸時代には林羅山や山崎闇斎学派などの抄物がある。抄物の研究は新村出,湯沢幸吉郎らが先鞭をつけ,近年は複製本などの刊行も数多い。
執筆者:山田 武
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…前期はそれらの僧侶の詩文の創作が中心であるが,一方では五山版と称する漢籍の出版も盛んに行われた。室町後期になると,詩文に対する注疏の学が盛んとなり,《江湖風月集抄》《中華若木詩抄》などの〈抄物〉があらわれ,これらの成果が中世の文学作品にみられる故事,出典の引用の基盤を作っていったと思われる。また,この〈注疏の学〉は儒学にも及び,《史記抄》などが作られ,やがて近世の朱子学派を生みだす基盤ともなった。…
※「抄物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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