押付新田(読み)おしつけしんでん

日本歴史地名大系 「押付新田」の解説

押付新田
おしつけしんでん

[現在地名]本埜村押付

佐野屋さのや新田の南にある。笠神埜原かさがみやわら新田の一。布川領押付新田(現茨城県利根町)にちなんで新田の名とした。寛文一一年(一六七一)の国手形寺請状改書綴(吉植家文書)に村名がみえ、入百姓の出身地は布川領押付村七人と埴生領松崎まつざき(現成田市)・印西領小林こばやし(現印西市)・同多々羅田たたらだ(現同上)各一人。天保三年(一八三二)の埜原新田拾ヶ村請年貢割付状(荒井家文書)では高一一七石余、反別二三町余はすべて畑としているが、幕末期に名主を勤めた荒井家に残る天保一一年の日記によると麦・蕎麦・大豆・綿などのほか、低地の水溜りや、水車を利用した水稲栽培がかなり広く行われていたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報