議会内の多数派あるいは有権者中の多数者の支持をうけた政党が政権を担当し,また議会の運営が政党を軸にしておこなわれるなど,政治の運営において政党が主導的な役割を担う政治のあり方をいい,独裁政治,官僚政治などと対比される。現代民主政治は一般に政党政治として展開され,民主政治=議会政治=政党政治といった関係が成り立っている。このような形態の政治が発達してきたのは,およそ18世紀から19世紀にかけての時期で,議会政治の母国イギリスでは,17世紀後半来のトーリー党とホイッグ党の対立のなかから,議会内の多数党が政府を担当するという慣行がしだいに発展した。18世紀前半期に下院の多数派の支持を確保しつつ内閣をとりしきったホイッグ党のR.ウォルポールや,18世紀末から19世紀初頭にかけての時期に,総選挙での勝利を背景として,のちに〈政党内閣制の明確な出発点を画す内閣〉と評された内閣を担ったW.ピット(小)などの経験のうえに,議会内の多数党の支持を政権の基礎とする議院内閣制が確立してきた。他方アメリカでは,反政党主義的立場に立ち,政党ぬきの政治運営を構想した建国の父たちの意図に反して,第2代大統領アダムズが連邦党を背景にして登場して以来,すべての大統領は民主党,共和党の二大政党のいずれかに属し,また連邦議会では,議席のほとんどすべてが大政党によって占められ,多数党が上院では常任委員会委員長,下院では議長と常任委員会委員長のポストをすべて手中にし,議会運営の主導権を握ってきた。
日本における政党政治の本格的成立は,ようやく第2次大戦後のことにすぎない。日本の最初の政党は,1874年に結成された愛国公党であるとされるが,日本の政党が議会政治のなかで役割を果たすようになったのは,いうまでもなく1890年7月に第1回衆議院議員総選挙が実施され,同年11月に第1議会が開かれてからである。しかし当時の政治を主導した藩閥政府は政党を敵視し,いわゆる〈超然主義〉を標榜した。このなかで政府と政党との関係が徐々に改善され,藩閥政治から政党政治への移行が進み,1898年に憲政党を,1900年に立憲政友会を,それぞれ基礎とした第1次大隈重信内閣,第4次伊藤博文内閣の成立を経て,1918年成立の原敬政友会内閣から,31年成立の犬養毅政友会内閣までは,衆議院の多数派を背景とする〈政党内閣〉が一応は続いたのである。だがその後の戦時下に,軍部政治の圧力の下で政党は逼塞(ひつそく)状態に陥り,政党政治は途絶えた。日本の政党が再び活性化したのは第2次大戦後になってからで,衆議院における多数派が政権を担当する政党政治がようやく定着してきたのは新憲法の下においてである。しかし,自民党と社会党の二大政党を中心とする1955年体制下で自民党の長期政権が継続し,四半世紀を超える長期にわたって政党間の政権交代がおこなわれていないという点で,日本の政党政治は,なお成熟段階に達しているとはいい難い。
→議院内閣制 →政党
執筆者:内田 満
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狭義では、議会内多数派を制する一つもしくは二つ以上の政党が政権を形成・担当する政治(単独政権、連合政権)。広義では、政党を基軸にして展開される政治。権力(政権)、議会、選挙のレベルで市民意思を背景にした政党間相互作用が繰り広げられる政治。現代政治は、その作動スタイルに相違はあるが、おしなべて政党政治であり、政党は、〔1〕利益の集約機能、〔2〕政治的補充機能、〔3〕議会政治運営機能、〔4〕政権担当機能(統治機能)を遂行しながら、現代政治の運命を支えている。
政党政治が展開される枠組みを政党制という。政党制は、政党の数、各党の相対的規模、政党間距離、イデオロギーへの感情移入度、運動の方向、競合の存・否、政権交代軸の数と位置を基準に、七カテゴリーに分類できる(G・サルトーリ)。政党=国家システム 〔1〕一党制(旧ソ連、中国)、〔2〕ヘゲモニー政党制(ポーランド、メキシコ)。政党政治システム 〔3〕一党優位政党制(1955年以後の日本、インド)、〔4〕二党制(イギリス、アメリカ)、〔5〕穏健な多党制(ドイツ、スウェーデン)、〔6〕分極的多党制(ワイマール・ドイツ、イタリア)、〔7〕原子化政党制(マレーシア)。
政党政治を生み出したものは、産業革命と選挙権拡大(代議政治の確立)であった。普通選挙権闘争の結果、政治過程に膨大な大衆が参入したとき、政治はなによりも「民意への対応力」が要請されることになった。政党は市民と権力を連結する媒介装置として定着し、集票能力を高めるために自らを構造強化した(組織政党・外部指向政党への脱皮)。19世紀のイギリスが今日の政党政治を先導した。
政党が政治過程の主導権を握る政治であるため、駆動力たる政党が近代化(組織の近代化、政策の近代化、党財政の近代化)に失敗したときには、「数の論理」「強行採決の論理」が政治を支配し、民意対応力を喪失した金権腐敗政治に転落しやすい。
[岡沢憲芙]
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複数の政党が交替して政権を担当する政治体制。イギリスでトーリ党,ホイッグ党の二大政党の原型が出現したのが,17世紀後半のことであったが,当初は有力貴族を指導者とする派閥の域を超えなかった。それが18世紀後半からしだいに政策集団の性格を強め,1830年代の議会改革の始まりとともにそれぞれ保守党,自由党と改名し,二大政党として議会における多数党が政権を担当する責任内閣制を発達させた。多くの政党が存在する国においては,それらの政党が協力して連立内閣を形成する場合が多い。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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