文京(区)(読み)ぶんきょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「文京(区)」の意味・わかりやすい解説

文京(区)
ぶんきょう

東京都区部のほぼ中央にあり、千代田区の北に接する区。1947年(昭和22)小石川本郷(ほんごう)の2区が合併して成立。東京大学、旧東京教育大学(筑波(つくば)大学の創立に伴い1978年閉学)、お茶の水女子大学など大学が多く文教の地を意味して区名となった。山手(やまのて)台地からなるが、小石川など多くの侵食谷が台地を刻み、本郷台、白山(はくさん)台、小日向(こびなた/こひなた)台、関口(せきぐち)台などの各台地に分かれている。南端は神田(かんだ)川の谷に臨み急崖(きゅうがい)となっている。東京地下鉄有楽町線・丸ノ内線・千代田線・南北線、都営地下鉄三田(みた)線・大江戸線の各線、首都高速道路5号池袋線、国道17号、254号が通る。江戸時代は、加賀藩(現、東京大学)、水戸藩(現、小石川後楽園)、柳沢家(現、六義園(りくぎえん))などの多くの武家屋敷があった。なお、8代将軍徳川吉宗(よしむね)のときに置かれた施薬院(小石川養生所)は現在、東京大学附属の小石川植物園となり、徳川綱吉(つなよし)が創設した湯島聖堂護国寺家康生母を祀(まつ)る伝通院(でんづういん)、江戸町民の崇敬を受けた根津神社湯島天満宮(湯島天神)など、現在も当時をしのばせる建物、景観が残る。南西端の関口は神田上水を江戸の中央部に引くための堰(せき)の置かれた所。明治以降、台地は軍用地、文教および住宅地となる。一方、町民の住んだ低地は商工業の地で、とくに小石川の谷は出版・印刷業の集中する地区、本郷・湯島は医療・理化学用機械工業に特色がある。本郷には旅館が多い。人口は1963年(昭和38)の25万3000をピークに、1998年(平成10)まで減少し続けたが、同年以降は増加傾向にある。弥生町(やよいちょう)は弥生式土器の名のおこった地(弥生町貝塚、1884年発見)、後楽には東京ドームや数々のアトラクションが楽しめる東京ドームシティアトラクションズがあり、関口台にある東京カテドラル聖マリア大聖堂は超近代建築で知られる。面積11.29平方キロメートル、人口24万0069(2020)。

[沢田 清]

『『文京区志』(1956・文京区)』『『文京区史』全5巻(1967~1969・文京区)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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