新畑村(読み)しんばたむら

日本歴史地名大系 「新畑村」の解説

新畑村
しんばたむら

[現在地名]小野市三和町みわちよう

西に青野原あおのがはら台地を望む加古川右岸の低地に集落を形成し、長町ながちよう村の東に位置する。初め姫路藩領、寛保二年(一七四二)以降幕府領となる(「亦右衛門由緒書」三枝家文書)。もと新部しんべ村地先の寄洲であった場所を利兵衛が堤を築き、見取反別三町四反余、物成米三石四斗余の新畑を開発したのに始まる。姫路藩主榊原忠次時代(慶安二年―寛文一二年)検地高三九石余、家数二九(うち出百姓九)の新村が興り、新畑村を称したという(「利兵衛由緒書」同文書)


新畑村
しんばたむら

[現在地名]夢前町置本おきもと

山富やまとみ村の北、しも村の西に位置する。元和三年(一六一七)から寛永八年(一六三一)の間に下村から分村し村立てされたというが(「姫路記」渡辺家文書)、かつて志水野しみずのとよばれた当村の地の開拓が進められたのは寛永一一年以降ともいう(「宇鷹系譜」夢前町史)元禄郷帳に村名がみえ、下村枝郷と注記される。高四四石余。旧高旧領取調帳には置塩新畑おしおしんばた村と記される。宝永年間(一七〇四―一一)の前之庄組高反別帳写(清瀬家文書)では高四〇石余、大豆成の村で、免一ツ七分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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