1930年代に反伝統・反《ホトトギス》を旗印に,近代的抒情・感覚の発揚による表現様式の革新と,俳句形式による思想性・社会性の領略とを目ざした俳句近代化運動で,一時期を画した。青年層を中心に展開され3期に区分できる。(1)前期は34年ころまでで,水原秋桜子と山口誓子を先導者として抒情の《馬酔木(あしび)》,社会性の《天の川》を中心に連作形式で推進された。秋桜子は甘美な抒情で風景俳句を樹立,31年《馬酔木》に〈自然の真と文芸上の真〉の一文を掲げ《ホトトギス》と決別,門下の高屋窓秋,石田波郷らと近代的抒情を鼓吹した。誓子は斬新な感覚と写生構成で表現領域を拡充,近代的な都会俳句を樹立して運動を内面から支えた。(2)中期は37年ころまで。35年ころには《京大俳句》《句と評論》《土上》《旗艦》等の主要誌が呼応,運動は全国的に伝播するとともに,連作から派生した無季俳句へと転進,篠原鳳作,西東三鬼(さいとうさんき),渡辺白泉,富沢赤黄男(とみざわかきお)らにより斬新な詩情と表現様式が追求される一方,《土上》《句と評論》では生活俳句が主張された。有季遵守の秋桜子,誓子は運動から離脱した。(3)後期は37年に始まる日中戦争以後で,戦争の過酷な現実をヒューマニズムに立脚して詠む戦争俳句が敢行され,白泉,赤黄男らの絶唱が生まれた。しかし反戦的傾向に対して40年に《京大俳句》,41年には《土上》《広場》(《句と評論》改題)等が弾圧され,運動は終息させられた。俳句を詩の水準に上げた功は大きい。
執筆者:川名 大
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昭和初期に始まった新俳句運動。1931年(昭和6)、水原秋桜子(しゅうおうし)は主宰誌『馬酔木(あしび)』に批判文「自然の真と文芸上の真」を発表、高浜虚子(きょし)の指導奨励する客観写生が些末(さまつ)な草の芽俳句を生み出しているとして、自然の真という素材を己のうちに溶かし込み、鍛錬加工した文芸上の真を求めようとした。『馬酔木』独立の挙であった。これが若い俳人を刺激し、『馬酔木』に結集、『天の川』『土上(どじょう)』『句と評論』などの俳誌も活発に俳句の近代化を求めた。『馬酔木』には、新素材の拡充と構成的手法によってその句の注目されていた山口誓子(せいし)が加入、ロマン的叙情性豊かな作句をする秋桜子とともに新風の先頭にたった。新運動は連作俳句に積極的に取り組み、金児杜鵑花(とけんか)(『俳句月刊』主幹)によって、「新興俳句」の名称を与えられたが、連作中の個と全、季語の有無が問題となり、無季や超季の容認まで行われるに及んで、秋桜子、誓子は36年ごろよりこの運動から離れた。35年、日野草城(ひのそうじょう)の『旗艦(きかん)』が創刊され、俊秀を集め、『京大俳句』『土上』『句と評論』、新誌『傘火(かさび)』『自鳴鐘(じめいしょう)』などとともに、さまざまの芸術派的、社会派的試みを重ねた。おりしも日中戦争の始まった時期で、想像力による戦火想望俳句も試みられ、厭戦(えんせん)句もつくられた。ついに40年から41年にかけて、『京大俳句』『土上』などの主要メンバーが治安維持法により検挙され、この運動は壊滅に至る。新興俳句運動は、現代俳句の母胎となる画期的な俳句革新運動であり、高度の詩意識による秀作を残した。代表俳人は西東三鬼(さいとうさんき)、高屋窓秋(たかやそうしゅう)、富沢赤黄男(かきお)、渡辺白泉(はくせん)、篠原鳳作(しのはらほうさく)である。
[平井照敏]
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…日本歯科医専卒。1933年,患者のすすめで俳句に手を染め,モダニズムを基調にした当時の新興俳句運動に参加,俳句雑誌《旗艦》《京大俳句》などで活躍した。36年,〈水枕ガバリと寒い海がある〉〈緑蔭に三人の老婆わらへりき〉などを発表,新興俳句の代表的俳人と目された。…
…早稲田大学在学中に俳句に関心をもち,1935年に日野草城の《旗艦》が創刊されると,〈秋風の下にゐるのはほろほろ鳥〉などを同誌に発表した。青春の鬱屈した心情を現代詩に多い用語で表現した赤黄男は,同時代の感情の表現を志向していた当時の〈新興俳句〉のホープとみなされた。〈爛々と虎の眼に降る落葉〉などを収めた句集《天の狼》(1941)は,その〈新興俳句〉の大きな成果である。…
…当時の自然主義に影響を受けて現実感を重視したこの派の流れは,荻原井泉水,種田山頭火らの〈自由律〉に至る。31年,水原秋桜子の虚子批判に端を発して〈新興俳句〉が生じたが,これもまた前衛派の運動であり,山口誓子,日野草城,石田波郷,西東三鬼,富沢赤黄男(かきお),渡辺白泉らがこの運動を担った。〈新興俳句〉でも現実感がなによりも重視され,篠原鳳作の〈しんしんと肺碧(あお)きまで海のたび〉のような無季句が書かれ,また,高屋窓秋の〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉などの口語的作品が登場した。…
…27年には第1句集《花氷(はなごおり)》を上梓,その句風は〈わび〉的俳句概念を払拭した才気煥発,清新瀟洒なモダニズムで,昭和俳句の先駆的役割を果たした。35年,俳誌《旗艦》を創刊,無季容認の立場から新興俳句運動の重鎮として活躍した。戦後は病床にあって49年《青玄》を創刊,人生的な深まりを示す清澄沈潜の句境に至った。…
…28年,昭和医専の教授となる。30年には第1句集《葛飾》を上梓,みずみずしい抒情世界は青年俳人を魅了し,新興俳句の口火となり,石田波郷,加藤楸邨らの俳人を育てた。しかし主観や抒情を重んじる傾向は虚子の客観写生と対立,31年主宰誌《馬酔木(あしび)》に論文〈自然の真と文芸上の真〉を発表して《ホトトギス》を離脱した。…
…秋桜子の抒情的な句風に対し,現代的素材の積極的摂取や知的即物的な写生構成の方法の導入により《凍港(とうこう)》(1932),《黄旗》(1935)を上梓。青年俳人に多大な影響を与えて新興俳句運動の先導的役割を果たし,また昭和俳句の歩みの基盤と方向を決定づけた。35年《馬酔木(あしび)》に参加,有季定型の立場をとり無季新興俳句とは一線を画した。…
※「新興俳句」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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