日本炭鉱労働組合(読み)にほんたんこうろうどうくみあい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本炭鉱労働組合」の意味・わかりやすい解説

日本炭鉱労働組合
にほんたんこうろうどうくみあい

略称炭労炭鉱労働者が結成した労働組合。2004年(平成16)解散。1947年(昭和22)1月に全日本炭鉱労働組合(全炭)、日本炭鉱労働組合総連合炭連)、日本鉱山労働組合同盟(日鉱)によって組織された炭鉱労働組合全国協議会(炭協)が、10月に分裂、炭連は日鉱とともに日本炭鉱労働組合同盟を結成し、1948年6月に日本炭鉱労働組合連合会と改称、1950年4月23日、加盟組合を拡大して単一化を図り、炭労となった。石炭危機の深まりと、石炭から石油へのエネルギー転換政策の強行のもとで、炭労は、1952年秋の63日間スト、1953年秋の三井炭鉱労働組合連合会(三鉱連)113日間の「英雄なき闘争」、1956年春闘のストと1957年の杵島(きしま)炭鉱の96日間スト、1960年の300日を超える三池争議などの大規模な闘争を、職場闘争を基礎に繰り広げ、日本における労働運動に積極的な役割を果たしてきた。しかし、三池争議以後、資本の「合理化攻撃は相次ぐ廃閉山=大量解雇となって襲いかかり、1954年に組合員数22万人を誇った炭労は、1986年には1万0904人、1999年(平成11)には1251人、2004年には1051人と激減した。2002年に閉山した国内最後の大手炭鉱、太平洋炭砿(たんこう)の労働組合が2004年10月末に解散したことを受け、炭労も同年11月に解散、半世紀を超える活動に終止符を打った。日本労働組合総連合会(連合)、国際自由労連(ICFTU)に加盟していた。

[大野喜実・早川征一郎]

『日本炭鉱労働組合編・刊『炭鉱に生きて――炭労40年史写真集』(1990)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本炭鉱労働組合」の意味・わかりやすい解説

日本炭鉱労働組合
にほんたんこうろうどうくみあい

炭鉱労働者によって組織された労働組合。略称,炭労。第2次世界大戦後相次ぎ発足した全日本炭鉱労働組合 (全炭) ,日本炭鉱労働組合総連合会 (炭連) ,日本鉱山労働組合 (日鉱) の3連合体が結集し,1947年炭鉱労働組合全国協議会が結成された。しかし同年炭連と日鉱が脱退し,中立組合とともに日本炭鉱労働組合同盟 (炭労) を結成。 1948年日本炭鉱労働組合連合会と改称。のちに日鉱系が脱退し,1950年日本炭鉱労働組合と改称し単一組合となった。日本電気産業労働組合 (電産) とともに賃上げ長期ストライキ (1952) を行なったのをはじめ,113日に及ぶ三井鉱山企業整備反対闘争 (1953) ,三池闘争 (1960) など日本労働組合総評議会 (総評) のもとで強力な闘争を展開した。その後エネルギー転換で炭鉱の閉山が相次ぎ,最盛期 29万人に及んだ組合員数は 1990年代前半には 2000人あまりとなった。日本労働組合総連合会 (連合) 加盟。 2004年 11月 19日解散。

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百科事典マイペディア 「日本炭鉱労働組合」の意味・わかりやすい解説

日本炭鉱労働組合【にほんたんこうろうどうくみあい】

略称は炭労。1947年,炭鉱労働組合の全国協議体として結成の日本炭鉱労働組合同盟が前身。その後数度の分裂統合を経て1950年職業別単一組合として結成された。1952年の長期スト,1953年の三井鉱山労連ストを経て総評(日本労働組合総評議会)傘下(さんか)の最強組織となった。しかし企業のきびしい合理化攻勢を受け,1960年の三池争議後は勢力減少し,炭鉱の閉山が続きさらに激減。連合に加盟していたが,組合員も1999年には1251人となり,2004年11月解散した。

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世界大百科事典(旧版)内の日本炭鉱労働組合の言及

【炭労】より

…正式名称は日本炭鉱労働組合。連合に加盟。…

※「日本炭鉱労働組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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