映画俳優。Sessue Hayakawaとして知られた国際的なスターで,日本からの国際俳優の先駆者。千葉県に生まれ,1909年に渡米。日本人主演の本格的アメリカ映画第1号となったトマス・インス監督《神の怒り》(1914)をデビュー作として,レジナルド・バーカー監督《タイフーン》(1914),セシル・B.デミル監督《チート》(1915)および《テンプテーション》(1916)等々サイレント初期のアメリカ映画に主演,たちまちその性的魅力でアメリカ女性を魅惑して人気スターになり,異民族の男性の美しさやセックス・アピールを売物にするハリウッドの風潮をつくったとすらいわれる(ルドルフ・バレンチノが登場するのはそれから数年後のことになる)。トーキー以後は性格俳優として国際的に活躍し,デビッド・リーン監督《戦場にかける橋》(1957)の日本人の捕虜収容所長の役がもっとも強烈な印象を残した名演として知られる。女優青木鶴子と結婚して共演作も多い。フランス映画《ラ・バタイユ》(1923),《犠牲》(1924),《ヨシワラ》(1937),日独合作映画《新しき土》(1936),日本映画《遥かなり母の国》(1950),《レ・ミゼラブル》(1950)等々にも出演している。自伝《武者修業世界をゆく》(1959)がある。
執筆者:広岡 勉
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映画俳優。本名金太郎。千葉県千倉(ちくら)の網元の家に生まれる。海軍兵学校の試験に失敗して渡米、シカゴ大学に学ぶ。学生時代から演劇に興味を抱き、一座を組織して日本人移民グループの間を巡業中、映画製作者トマス・H・インスを知り、彼の紹介で1914年(大正3)パラマウント社に入社、『タイフーン』に主演して一躍名声を得る。以後、その東洋人的風貌(ふうぼう)と演技力を買われ、アメリカ映画『ザ・チート』、フランス映画『ラ・バタイユ』『ヨシワラ』などに国際俳優として活躍、ときおり帰国して映画・舞台に出演したが、第二次世界大戦終結はパリで迎えた。49年(昭和24)以降は日本に定住、『レ・ミゼラブル』などの日本映画に出演した。イギリス映画『戦場にかける橋』(1957)の捕虜収容所長斎藤大佐役は彼の演技歴の最高峰と評価されている。
[吉田智恵男]
『野上英之著『聖林ハリウツドの王 早川雪洲』(1986・社会思想社)』
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