出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
神の尊称の一つで,神威明らかな意。同音の名神に代わって9世紀半ばころから使われるようになったが,名神が《延喜式》臨時祭の条にいう名神祭にまつられる特定の神格に限っての称であるのに対して,明神号には祭祀上の限定はなく,近世には神祇伯を名のる吉田家が私に明神(または大明神)号を乱発するにいたっている。しかし記録の上では,《日本後紀》弘仁5年(814)9月15日条に豊稔を感謝して〈明神〉に奉幣したとあるのが初見で,その後《続日本後紀》承和10年(843)4月の条に山埼神が〈名神〉にあずかったとありながら,同15年(848)3月の条には同神を〈山埼明神〉と記しており,また嘉祥1年(848)11月の条には隠岐国伊勢命神がよく霊験を示すので〈明神〉に列せられたとあるなど,当初は従来の〈名神〉との混用があって同義であったらしい。なお《公式令》の詔書式には〈明神御宇(あらみかみとあめのしたしろしめす)天皇〉とあって,これは〈現御神〉(《続日本紀》文武元年(697)8月)と同義とみてよい。
執筆者:薗田 稔
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名神が特定の神社への一種の社格・神階であるのに対し、明神は祭神の神徳をたたえ、崇敬の意を表して、神名の下につけた尊称である。明神と称されるのは地域的な村とか、同族的な集団で祀(まつ)る神・神社が多かった。平安時代よりみえるが、のち名神との区別はしだいに不明となり、中世以降は名神の称は廃れた。近世になり氏神(うじがみ)・産土神(うぶすながみ)が地域的な神の性格をもつに至ったのと似ている。大明神とは、全国的な崇敬を得ているのを、とくに尊んだ敬称で、稲荷(いなり)大明神、春日(かすが)大明神などが著名である。
[牟禮 仁]
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…神の尊称の一つで,神威明らかな意。同音の名神に代わって9世紀半ばころから使われるようになったが,名神が《延喜式》臨時祭の条にいう名神祭にまつられる特定の神格に限っての称であるのに対して,明神号には祭祀上の限定はなく,近世には神祇伯を名のる吉田家が私に明神(または大明神)号を乱発するにいたっている。しかし記録の上では,《日本後紀》弘仁5年(814)9月15日条に豊稔を感謝して〈明神〉に奉幣したとあるのが初見で,その後《続日本後紀》承和10年(843)4月の条に山埼神が〈名神〉にあずかったとありながら,同15年(848)3月の条には同神を〈山埼明神〉と記しており,また嘉祥1年(848)11月の条には隠岐国伊勢命神がよく霊験を示すので〈明神〉に列せられたとあるなど,当初は従来の〈名神〉との混用があって同義であったらしい。…
…院政期,上皇はじめ公家貴族の参詣で脚光をあびた熊野は早玉宮・結宮を合して両所権現,家津御子を入れて熊野三所権現と称し,眷属神である五所王子・四所宮を合して十二所権現とも呼んだ。加賀白山では奈良朝初め泰澄により霊場が開かれ,その主神を白山妙理権現と称し,伊豆箱根では同じころ僧満願が僧形・俗形・女形の神体を感得して三所権現と称し社にまつり走湯権現ともいわれ,日光山では勝道が平安朝に滝尾権現を感得し,日吉山王でも大宮・二宮・八王子・客人・十禅師・三宮・大行事等多数の祭神に一々権現号を付し,醍醐寺の鎮守清滝明神は密教の善女竜王にほかならないが,権現の名称で親しまれていた。 以上に見るように,総体に修験者が信仰する山岳中心の霊場には権現号が多く,そこにはひときわ祭神の強力な霊験機能を誇示しようとする意識が働き,律令制の下で《延喜式》に規定された名神から来たと思われる明神の号への対抗が考えられるが,いずれの号をも称する祭神は多かった。…
※「明神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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