木賊村(読み)とくさむら

日本歴史地名大系 「木賊村」の解説

木賊村
とくさむら

[現在地名]舘岩村宮里みやざと

小高林こたかばやし村の南、西根にしね川左岸にある。東西とも山に挟まれた谷間の村で、標高七五〇メートル前後に位置し、北に小名新屋敷あらやしきがある。文安四年(一四四七)三月吉日の熊野神社鰐口銘に「国森」とある。国森氏は田島長沼氏の家臣と思われる。熊野神社は古くから「木賊の権現」として、当地ばかりでなく伊南いな郷の人々からも崇敬を集めていた。安永七年(一七七八)には高六〇石余。文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳では高六一石余。化政期の家数は本村二〇・新屋敷三(新編会津風土記)。南西に小繋こつなぎ峠があり、檜枝岐ひのえまた(現檜枝岐村)に通じている。同村から田島たじま(現田島町)若松へ小羽板や曲物を送り、食糧・生活必需品を買入れており、沼田街道不通になった際は最近まで利用されていた。

木賊村
とくさむら

[現在地名]大和村木賊

田野たの村の北、日川ひかわ渓谷の最奥右岸に位置する山間の地。トクサ山野湿地に生育する植物の名で、地名の由来は当地にこれが群生することによる。天目棲雲せいうん寺領の村であったため天目てんもく村とも称された(甲斐国志)上杉禅秀の乱で禅秀に荷担した甲斐守護武田信満は上杉憲宗の軍に追われ、応永二四年(一四一七)二月六日木賊山中で自刃したとされる(「鎌倉大草紙」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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