本多 新(読み)ホンダ アラタ

20世紀日本人名事典 「本多 新」の解説

本多 新
ホンダ アラタ

明治・大正期の民権運動家,政治家



生年
天保14年閏9月5日(1843年)

没年
大正3(1914)年1月12日

出生地
出羽村山郡十日町(山形県山形市)

別名
幼名=茂助,号=暁山,別名=新平

経歴
慶応元年(1865年)江戸に上り、儒学者の安井息軒に入門。蝦夷地開拓を志して建言書の提出など様々な運動を行い、明治5年には開拓使に採用されて北海道に渡り、開拓事業に従事した。のち室蘭で宿屋兼銭湯を開く。傍ら、自由民権運動に挺身し、国会開設を目指して13年元老院に建言書を出したほか、各地の有志檄文を送った。14年自由党の創立大会に北海道唯一の党員として参加し、北海道で同志を募って15年には自由党札幌支部を創設。憲法発布後も北海道の参政権獲得や鉄道敷設、室蘭地方の公共事業などに力を尽くした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「本多 新」の解説

本多 新
ホンダ アラタ


別名
幼名=茂助 号=暁山 別名=新平

生年月日
天保14年閏9月5日(1843年)

出生地
出羽国村山郡十日町(山形県山形市)

経歴
慶応元年(1865年)江戸に上り、儒学者の安井息軒に入門。蝦夷地の開拓を志して建言書の提出など様々な運動を行い、明治5年には開拓使に採用されて北海道に渡り、開拓事業に従事した。のち室蘭で宿屋兼銭湯を開く。傍ら、自由民権運動に挺身し、国会開設を目指して13年元老院に建言書を出したほか、各地の有志に檄文を送った。14年自由党の創立大会に北海道唯一の党員として参加し、北海道で同志を募って15年には自由党札幌支部を創設。憲法発布後も北海道の参政権獲得や鉄道敷設、室蘭地方の公共事業などに力を尽くした。

没年月日
大正3年1月12日

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本多 新」の意味・わかりやすい解説

本多新
ほんだあらた
(1843―1914)

室蘭(むろらん)在住の自由民権家。天保(てんぽう)14年閏(うるう)9月5日、羽前(うぜん)国(山形県)村山郡十日町に農家の長男として生まれる。幼名茂助(もすけ)。江戸の儒者安井息軒(やすいそっけん)の学僕を経て、1872年(明治5)北海道に渡る。73年左院と開拓使に北海道開拓に関する建白書を提出、80年元老院に「国会開設ノ儀」を建白するなど、政治活動、住民運動に参加した。81年自由党結成大会に出席、翌年には自由党札幌支部結成に参加したが、のちに脱党以後、室蘭最初の学校常盤(ときわ)学校の創立、札幌―室蘭間鉄道敷設運動、室蘭港の軍港化反対、港埋立て運動などに活躍した。大正3年1月12日没。室蘭市立図書館に関係文書が所蔵され、資料目録が発行されている。

[船津 功]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多 新」の解説

本多新 ほんだ-あらた

1843-1914 明治時代の自由民権家。
天保(てんぽう)14年閏(うるう)9月5日生まれ。安井息軒にまなび,明治5年開拓使に採用され北海道にわたる。室蘭(むろらん)で旅館業をいとなみながら常盤(ときわ)学校を創立。13年元老院に「国会開設ノ儀」を建白。翌年の自由党創立大会に参加。鉄道敷設にもつくした。大正3年1月12日死去。72歳。出羽(でわ)村山郡(山形県)出身

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