本間光丘(読み)ほんま みつおか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本間光丘」の解説

本間光丘 ほんま-みつおか

1733*-1801 江戸時代中期-後期豪商
享保(きょうほう)17年12月25日生まれ。出羽(でわ)酒田(山形県)の本間家3代。米や特産物の商取引,鶴岡藩などへの大名貸,田地集積により1代で巨大地主となり,本間家の基礎をつくる。鶴岡藩の御勝手御用掛をつとめて藩政に参与し,米沢藩など数藩の財政再建にもかかわった。また私財を投じて西浜に砂防林植林。享和元年6月1日死去。70歳。通称は四郎三郎。
格言など】公益のために財をおしむなかれ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の本間光丘の言及

【出羽国】より

… 庄内藩でも1767年(明和4)財政窮乏打開のため財政改革に着手した。豪農商の本間光丘(みつおか)が登用され,まず家中の会計整理をはじめ,安永および天明年間に〈御地盤組立〉という財政再建計画をだしている。しかしこの財政整理は農村の荒廃を救うことにならなかった。…

※「本間光丘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む