改訂新版 世界大百科事典 「朽木元綱」の意味・わかりやすい解説
朽木元綱 (くつきもとつな)
生没年:1549-1632(天文18-寛永9)
戦国末期~江戸初期の武士。幼名竹松丸。通称弥五郎。信濃守,河内守。晴綱の子。室町幕府の将軍足利義昭に仕え,1568年(永禄11)近江国高島郡朽木荘の本領を安堵された。その後,織田信長ついで豊臣秀吉に従い,90年(天正18)従五位下河内守に叙任された。94年(文禄3)秀吉より高島郡の蔵入地9203石余の代官に任じられ,また98年(慶長3)には越前国今南東郡下新荘内新村の検地代官をつとめた。1600年の関ヶ原の戦では,はじめ西軍の大谷吉継(隆)に属したが,小早川秀秋らとともに途中から東軍に寝返り,その功によって徳川家康より9500石余の本領を安堵された。16年(元和2)剃髪して牧斎と号し,25年(寛永2)本領のうち3240石を隠居料として与えられ,家督を嫡子の宣綱に譲った。法名は長久院福峯宗徳。
執筆者:田代 脩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報